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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。
汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。
証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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あの騒がしくも猛々しく駆け抜ける野の風を、どうかもう一度。 「神在月に置きましては、夏の日和も例年と違わず。目立つ干ばつ、水害にも襲われず。農村にはたわわな実りが豊穣の神より約定されること――」 各方面から挙げられる昨年とまったく同じ報告の数々を、八束は禁軍黄龍席の末席で聞き流していた。平坦な声を紫辰殿の大部屋に垂れ流すのは、上座から一段下がった大公たちが抱える豪奢な束帯を纏った官吏である。山と海の神を讃え、豊穣を訴えるその裏には、例年通りにたらふく税を取り立てても問題は起こらないという主義主張である。軍税、地税、地方税、神税。名前が変わるだけでそのすべてが民から吸い上げられる血肉に代わりない。 八束はこっそりと細い息を吐いて、大仏のように表情ひとつ動かさない上座の主上を覗き見る。自分も随分と老いたと思っていたが、極上の珠と漆を重ねた紫檀の椅子に、最上の絹で折り込まれた反物で誂えられた御引直垂。腰を下ろす老人が、八束の目に“座っている”のではなく、椅子と御引直垂に挟まれて“ただ在るだけ”に見えるようになったのは何年前の定例の儀であっただろうか。 珠ひとつ、金箔ひとつ、少々飾りが過ぎるのではないかとは思うが、国の頂点たる後宮に置いて豪奢絢爛を誇るのは特に悪いことではないと八束は考えている。以前、その是非を今は亡き主君に訊ねられた際、八束はこう答えた。 『国の頂点に立つものが、みすぼらしい身形であれば、それは清廉を讃えられるやもしれません。しかし、その様を国外の者が目にしたとあれば、金や権力の使い方を知らぬと侮られる可能性にもなり得ます。斯様な国を讃えることはあっても味方につけて益があるとは思わせにくいでしょう?』 主君は成程、とひとつ頷いた後に、「じゃあ、誰に見られたいとも思わず鎖国しやがるくせに金だけ毟りたがる連中は褌だけでいいなあ」と豪快に鼻で笑ったのだった。思えば、主君が存命であった頃の定例の儀や朝賀は騒がしく揉めたものである。 風来坊であった鷹爪は、それはもう、揚げ足取りの名人のようなものであった。官吏から豊穣の神やら、綿津見の賜り物という言葉が飛び出せば、豊穣の女神を信奉する朱雀穂村や綿津見を始祖に持つ青龍海神に水を向け、ならば日頃に米を育て、海を守り続けた民に国として褒賞を授けなければ、と言い出した。国境の軍備強化の為に国税を、と語る大公が居れば定例の儀の直前に珠と金糸で絹の束帯を仕立てたその姿を差し、その張羅を脱げば済む話だろう、と高らかに笑った。どんな文言が火種になるかわかったものではないので、あちらもこちらも随分、戦々恐々したものである。 ――あの時分、主上はまだひとつひとつを考えてくださっていた、はずだ。 抜け殻のようにただそこに在る今上帝の昏い瞳を捕えながら、八束は奥歯を噛み締める。何事にも動じずどしりと腰を据えることと、起こること聞こえる声見えるものからすべてを塞いで居座ることはまったくの別物である。 ――風が、欲しい。 息苦しさを覚えた八束は、不意にそんなことを思った。紫檀に掛けているあの主上の形をした像と、自らの心を殺す為に挙がり続ける報告を聞き流すだけの八束。座る場所が違うだけで、そこに一体、どれだけの差があるというのだろう。 ああ、あの御方は風であったのだ、と今更ながらに八束は思う。 願はくは、命が尽きるまで、風でありたかったのに。 ――今年も定例の儀は何事もなく進められそうですな。 ――ああ、彼の将が御存命であられた頃なぞ酷いものだった。早う、雅やかな宴に移りたいものだ。 ――今年はあの雛が参内というから、また妙な言を吐かれるかとひやりとしたが、さすが青龍の少将。すっかり手懐けて居られるようですな。 前主君に“兎”と称された八束の耳は、小声で零れる音を拾い上げる。勝手なことを。なんと勝手なことを。膝の上で手のひらに爪を立てながら、思う。 貴様らに何が解るのだ。 貴様らに国の何が解る。 あの御方の心の内の何を理解しようとした。 あの子の築き上げてきた他者との絆の何を理解出来るというのだ。 私は、あの子の……何を、私は、解ってやれているのだろうか? 不意に泣きたくなって、堪える為に面を上げた。その瞬間。同じ位の段。青龍海神のほんの末席。無意識に見てしまった視線の先で、 ――!? 鳶色の若い瞳が、きらり、と閃いた気がした。 「以上を持ちまして、本年の政も昨年通りに――」 かたん。 この後のささやかな歌宴のためと誂えられた膳が、軽く叩かれる音が響いた。上段の御簾がわずかにざわめき、首を揃えていた禁軍と官吏、控えていた女官や侍女の目が丸くなる。そこには朱色の盃に並々と注がれていた甘露の酒を、何の躊躇いもなくこくり、と喉に滑らせる少年の姿があった。勿論、少年より上座に掛ける青龍大将、副将、彼の青龍の少将すら一口と杯には口をつけていない。 その目の前で、少年は射抜くような視線に晒されながら一杯の清酒を仰いでみせた。 無論のこと。それは禁軍のみならず、上座に座る大公や帝への無礼な行為に他ならない。報告を読み上げていた官吏も呆気に取られてそちらを凝視し、盃を置いた鳶色の瞳に掴まった。 「北は霊峰、六海山。火入れなしの生酒。今日の宴をご用意されたのは耀遵大公と聞き及んで居ります故、これはこれはとても良き品で御座います。さすが、お目が高いと評判の大公殿でいらっしゃる」 「……鷹雛の君。主君を讃え下さったこと、光栄の限りに御座います。しかし、」 「さてはて。官吏殿は清酒が造られる過程をご存知か?」 「は……?」 さしもの事態に困惑して、諌めようとした官吏の言葉を遮って雛は問いかける。八束は自身の膳に置かれた清酒のかすかな波を覗いて、はっと気がついた。 「御噂では大公殿はこの清酒をこよなく好み、ここ一年ほど宴の際には必ずこちらを贔屓にしていらっしゃるとか。彼の酒蔵は神税として清めの酒を捧げることでも高名。市井にも名が広まっているようですね」 「鷹雛ど」 「ところで。清酒とは米を削りに削って搾り出される頓に贅沢な品。通常の沙羅酒で七割、吟醸酒なら六割から五割、この大吟醸なれば五割以上を削る必要があるとか。そして清酒を生酒として飲むには十月(とつき)から一年かかる」 「そ、それが、何か……?」 「だのに、北方の米蔵は昨年と代わりないのでしょう? 大公殿、市場にも流通し、神税としても納められているこの生酒を一体、どこでこんなにも手に入れたものなのやら、と。どうかその商才を凡将たる雛めにも御披露くださいな」 ざわり。 静観に徹していた八束の肌にも鳥肌が走るほどの波が、否。風が紫辰殿を駆け抜けた。 清酒を飲み干したばかりの、妙に濡れた唇がゆらりと歪む。 生酒、とは出荷の前に火入れせずに届けられた酒だけを指す。つまりは一度も保存処理をされず、醸造されたばかりの贅沢な酒だ。だから、この盃の酒が昨年や一昨年のうちに造られたということはない。大公はここ一年ほど、同じ生酒を宴に振る舞っている。その間の神税や、市場への流通にも変化はない。なら、その五割以上を削らねばならぬはずの贅沢な米は、一体、どこから出されたものなのか――。 自身を謙ってみせた鷹雛の真の問いは、そこにある。 ――確かに、大公殿は必ずその生酒を。 ――い、いや、しかし前の年に豊作であった年があったのでは。 ――だが、北方は近年、伽羅との諍いで戦災復興せねばならん年があったはず。 駆けた風は安穏を貪っていた官吏たちの脳に火を灯していく。一瞬にして槍玉に挙げられた耀遵大公はといえば、烏帽子を整えながら脂汗を掻く官吏を小声で諭している。しかし、良い打開策――という名の逃げ口上――が見つからないのか、官吏の方は忙しなく瞳を上下左右に彷徨わせている。 くくっ、と耳に入った微かな笑いに振り向けば、平然と答えを待つ鷹雛の傍らで羽織を鼻の位置まで挙げた青龍の少将が肩を揺らし、そのまた隣では頭の青龍大将が困惑気味ながらも、ひどく懐かしそうな目で下座を眺めていた。 ――懐かしい? 不思議にぽろり、とまろび出た単語に八束は唖然とする。そうだ。懐かしい、風が、吹いたのだ。 「……聖め、とんでもねぇ置き土産を遺して逝きやがった」 ぽつり、と隣で呟かれたその震えた声も、もう懐かしい名前を口にした。 ざわめきが消えない紫辰殿。ただひたすらに御引直垂と紫檀の椅子の合間で黙し続ける今上帝。時の止められた広間の中で、ぱっと上段の御簾が細く開けられた。そのわずかな変化に、水を打ったように広間が鎮まった。扇で面を隠しながらも、広間のほぼ中央に現れた女性を目にして八束の背に氷の粒が這った。 御簾が開いたのは僅かであるのに鼻につく甘すぎる香。上物の櫛で丹念に梳かされた垂髪。金糸銀糸を惜しげなく使った豪奢というには華美が過ぎる重ね衣。彼の元・主君がこの場に居たとしたら、あからさまに舌打ちをしていただろう。 ――伴少納言(とものしょうなごん)……。 しずしずと上座から下りてくる女性の弓張り月のような目を観察しながら、八束は臍を噛む。弘徽殿の女御――つまりは耀遵大公の母だ――に仕える随一の少納言が、公で御簾から姿を現すなど、嫌な予感しかしない。八束の懸念はど真ん中に当たってしまったようで、彼女は下座の隅に位置する鷹雛の前でぴたり、と足を止めた。 「お初にお目にかかります、鷹雛の君。御方さまより、我が宮を讃えてくださった御礼と致しまして、歌をお贈りしたいとのことです。どうぞ、ご好意としてお受け取りください」 八束はさっと自身の顔が青褪めるのを感じ取った。歌。鷹爪と真っ向から対立関係に合った弘徽殿から贈られる歌なぞ、その薄ら寒い笑み通りにろくなものではないと八束は知っている。そして彼の父親には歌の才がさっぱりというほど無かった。 勿論、八束はそれを不満に思ったことなど一度も無い。頭が持てぬものは、配下である自分や恭二郎が補えば良かったし、むしろそれを誇りとすら感じていた。しかし、今の八束では彼を庇うことなど出来ないのだ。 八束の焦燥など余所に、伴少納言は無情に扇の内に書かれた歌を読み上げた。 『千切れ散る 紅葉の錦 うつくしき 焔のごとく 誰(た)が櫛にも似ぞ』 鈴の鳴るような声で転がされた歌に、八束は目の前が真っ赤に染まるのを体感した。文官でなかったら、もっと血の気の多い性格であったなら、目の前の膳をひっくり返していたかもしれない。いや、現にそうならない勢いで、隣に座していた気配から、そして鷹雛のすぐ近く、大将席からも瞬間的な憤怒が立ち上った。 『なあ、ときいし。なんで、おれって“れん”てなまえなんだ?』 ぽたり、ぽたり、と落ち始めた水滴は留まることを知らなかった。歪みに歪んだ八束の視界では、もう真面に酒器の輪郭を見ることも出来ない。 『ふぅん。やっぱりときいしはすごいな!』 『そんなさびしいこというなよ。ときいしも、みんなみんな、おれのだいじなじまんの“かぞく”なんだから』 「時石、大丈夫か?」
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鷹羽全章
鷹羽全章:初章【武鎧聖】 《若鷹、美高の地にて敗戦を知る》 《鷹爪暗殺》 鷹羽全章:初章【天良舞】 鷹羽全章:本章【天武蓮】 壱 弐 参 終 《鷹雛、後宮の催事にて歌を紡ぐ》 前 中 後 花 鷹羽全章:後章【天武紫音】 Ren × Kanon きみのこえ。 たりないのはひとつだけ。 決断のentrance(習作) 華歌残照 1 2 3 4 花 武神の姫の恨み唄 壱 弐 Sellria × Karla an evening calm The HAWK Soldiers Restoration_~沈黙の空~ 1 咎を抱えた鷹の雛。 鷹羽Au revoir →解釈付き 華にもなれない、鳥にもなれない The Moon of the Witch 孤独な生きもの prologue 1 2 3 4 5 6 zero 年貢は硝子の棺のその中に 前 中 後 漫画 たとえばこんなきょうだいげんか 蓮と華に纏わる唄・序 らくがき らくがき。壱 らくがき。弐 らくがき。参 【デザイン】紅鷹 外伝 人よりは悪魔に近く、悪魔よりは人に近く 花籠の庭に鷹は囀る 最新コメント
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