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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。 汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。 証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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【さんじゅう、一日の終わりに、どんな些細なことでも良いから自分を誉めてあげること】

 ごめんね
 君が探す愛を答えに出来なくて
 口を閉ざす僕をどうか許さないで
 凍てつく夜()に佇む君を見つけられた今
 終らない運命(さだめ)と僕は結ばれよう
 モノクロに煌めく空の下
 本当の永遠を誓って


                       monochrome/KOTOKO



 
 何度も見た夢だった。
 否、それが夢なのかどうかさえ、俺にはわからない。夢なのか、呪いなのか、それとも俺自身が造り上げてしまった“何か”なのか。
 星が降り注ぐ丘の上。永遠に明けない夜。ずっとずっと、一人の少女を抱き締めながら留まっている。少女の目は開かない。透き通った白銀の髪と、雪原のように白い肌の、美しい少女。星が降っている。降り続けている。少女の目は開かない。
 苦悶と怨嗟に気がつくと、丘のすぐ真下には無数の屍が積み上がっている。無数の剣と槍の群れを墓標に、俺へと恨み言を吐き続けている。幾万の昔に永久の魔術師が積み上げた。そしてまた新たに俺は幾億を積み上げようとしている。丘の天辺だけが俺に許された玉座で、底なしに広がる屍の遠景に下りることも許されていない。それでなくとも、俺はそこを動こうとは思わなかった。
 俺の息の根を止めようと、もしくは同じ苦痛を味合わせんと、不自然に歪んだ手を伸ばして来る屍たち。その皮膚の爛れた手が少女に触れようとしたときだけ、俺の心臓は呼吸を始めて、感情が大きく揺れる。刹那、轟音が轟いたと思えばその手は無数の刀剣に貫かれて肉片になっているのだった。そんなこと繰り返し、繰り返し。屍は着実に万から億へと数を増やす。《幾万の鎮魂歌[ミリオン・レクイエム]》。ころり、と転がる濁った眼球が醜い俺の左右非対称な瞳を映し出す。寒気がするほどに、不気味に光るヴァイオレット。
 ああ、屍はどこまでも増え続けるのだろう。地平を埋め尽くし、尚、止まらない勢いで。
 星が降る。月が輝く。少女は目を覚まさない。本当は知っているのだ。その身体は既に雪のように冷たく、瞳はもう二度と開かれることはないのだと。それでも俺は飽きることなく、シリウスが瞬く冬の夜空に赤く煌めく夏のアンタレスを探し続けている。続けている。続けていく。続けていく。続け、続け、続け続けていく。

 それが永久たる所以なのだから。


 ごぼり、と吐息が漏れて意識が浮上する。酩酊のような緩やかさはなく、冷たい泥の中から無理矢理に引き摺り出されたような息苦しさだけがあった。引き連れた頬と生温かく肌に返ってきた呼気の感覚で、呼吸補助器の存在を知る。試しに指先と足を動かしてみると、曲げられないが感覚は失っていない。曲がらないのはおそらくギプスか輸血用の駆血帯だろう。とすると、一応、真っ当に手当をされているようではある。
 “生き返る”瞬間というのは、何度、迎えてもろくなものじゃない。正直なところ、しんどい。
 痛い、怠い、眠い。痛むのは言わずもがな、怠いのは骨肉の再生に体力を使い過ぎた所為、眠いのは……麻酔だろうか。睡眠を必要としないのに眠いということは、どれだけの量をぶち込まれたのだろう。
 げほ、と強めに咳き込めば、喉に痞えていた血の塊が口内に吐き出された。鉄錆の味を噛み砕いてから、久しく重たい瞼をそうっと開く。
 ぽたり、と輸血パックから滴る雫が目に入った。血液型なんて、最後にいつ確かめたっけ? まあ、間違った血液を輸血されても死ねないわけなのだが。ぼんやりした頭のまま、また2,3度咳き込んで、何気なく呼吸補助を外そうとまだ自由に動く右手を持ち上げて。
 横合いからその手首を掴まれた。
「何をしようとしているの?」
 綺麗な榛の瞳が、何故かひどく哀しい色を湛えて、それでいて怒りに燃えていた。燃えていた、っていうか冷えていた。室温が低い。寒い。
 桜の紅葉のようなさらりとした髪、凛とした輝きを持つ瞳、泣き黒子はそこはかとなく色っぽい。普通の男だったなら、倒れた矢先でこんな美人に介抱されたら鼻の下を伸ばすのだろう。それくらい整った薄化粧の御婦人だった。が、代わりに俺は背筋が凍った。ガチで表情が引き攣った。
 反射的に名前を呼んでしまわなかっただけ、自分を誉めてやりたい。
 1000年を刻んで色々な感覚が鈍っただけで、元来、俺は沈着冷静というタイプではないのだから。
「……どちら様でしょうか?」
 血塊にベトついた喉を振り絞ったら、眉根を寄せられた。あ、傷つけた。完璧に程近いポーカーフェイスだけれども、さすがにそれくらいは察せられるようになったのか、と頭の妙に冷静な部分が自己評価する。脳みそが後悔に行き着いたのと、掴まれた手首に爪が立てられたのはほぼ同時だった。
「いたいいたいいたい」
「ほぼ即死の事故だったそうよね? 頸椎も両腕の骨も神経も粉々のぶちぶち。折れた肋骨で内臓も傷だらけ。なのに救急で担ぎ込まれた頃には脈拍があって、肌の裂傷も傷ついた内臓も塞がりかけていた。これはどういうことかしら?」
 そりゃあ、不死身だからですね。なんてさらっと言えたら苦労はしない。というか、だから誰にも見つからないうちに病院なんていう公的機関から抜け出したかったのに。
 おそらく情報源になったであろう影を探してみれば、御婦人の隣の椅子に掛け、突っ伏して寝ていた。寝ていたけれど99.999%くらいの確率で狸だと思われる。食い込んだ爪が皮膚にめり込む。ネイルアートって超痛い。
「あのね、星一くん。私、まだお腹目立ってきていないけど、これでも妊娠しているの」
「ちょ、何やってるんですか! もう夜でしょ、ブランケットくらい掛けてくだ……」
 墓穴った。鮮やかに墓穴った。どうして誤魔化せるとか思った、十数秒前の俺。呼吸補助器を毟り取って上げた声に自分で固まる。御婦人――草木の芽吹く萌黄の名前をした女性の目が薄っすら笑った。笑ったけど笑ってない方の笑い方だった。突っ伏した九重さんは震えている。間違いなく笑いで。
「星一くん?」
「……え……と……これは、ですね」
「シリウスくん」
 呼称が変わる。心臓が不自然に跳ねる。途端に俺は何も言えなくなる。ずるい、と思うし、相変わらず聡いと思う。親に付けられた名前よりも、“彼女”が付けた名前に馬鹿正直なんて、とんだ親不孝者だ。今さら何を、ではあるのだけど。
「説明してもらえるわよね?」
 明らかにトーンダウンした有無を言わせない声だった。俺はもちろん、迷った。目は泳いだ。説明。説明と言っても何を何から説明したら良いのだろう。悲しいことに俺の頭では、どうすれば当たり障りのない言葉を使った説明ができるかの回答は出て来なかった。
 俺は俺の存在が歪んでいることも知っていた。大昔、息子のように可愛がってくれていたこの人が心を痛めるのだろうな、ということも何となく直感していた。けれども俺の心のど真ん中には、後悔なんてこれっぽっちもなかったのだ。それが対外的に見て、如何に馬鹿馬鹿しく愚かだということも知っていた。
 逡巡しているうちに、「逃げるのはなしよ」と釘を打たれた。
 キョドっているうちに、女性――俺にとっては幼馴染の母親であり、何かとどうしようもない俺を世間から庇い、世話を焼いてくれた思い出の女性である彼女の導火線は確実に消費されていたらしい。
 起こしていた上体をベッドの上に横たえて、記憶を手繰るように宙を見る。薄暗い病室の天井は真っ白だった。ああ、星が見たいな、と漠然と思った。
「長い、退屈な話になります」
「ええ、構わないわ。どうせもう日暮れだもの。いざとなったら泊まるから」
 エーゲ海の日差しを浴びたヘーゼルナッツの目が、決意にも近い意志を訴えてくる。それはあまりにも真っ直ぐすぎて、今の俺にはやっぱり直視が難しかった。
「むかしむかし、あるところに無知で愚鈍で何も出来ない平凡極まりない子どもがおりました――」
 美しく育った少女は『月が綺麗ですね』と呟いた。成長した無知で愚鈍な子供は『もう、死んでもいい』と願った。
 これは長く、長く、とても退屈な話だ。起承転結も何もない。平凡な少年がただの愚かな永久の化け物に至るだけの、ただの、昔話なのだから。


 参列者のいない一人きりの歪な風葬は、呆気なく終わった。
 周到にも“彼女”は自らの遺体に降りかける術法を編み出していて、それを俺に叩き込んでいた。通常の何倍もの速度で風化していく白骨を、何度も目を背けそうになりながら見送って、最期の最後、欠片にまでなった骨まで細かく砕いて風に乗せた。
 “彼女”の父親が頑なに形を保とうとしたのに対し、“彼女”はこの広大な世界の一部になることを望んだ。本来の俺が唯一、手繰ることが出来た“風”になろうとしてくれたのかもしれない。これは少し自惚れかもしれないが、勝手に思うくらいは許されてもいいと思った。
 “彼女”を失った俺は、すぐに最低限の荷物だけを持ち出して、最期の思い出の詰まるログハウスに火を放った。綺麗に全焼してくれるよう、ご丁寧に油を撒き散らして。そこに縋りついてしまったら最後、俺は抜け殻のように居座り続けただろうから。
 さて、何をしよう。あても目的もなかったが、とりあえずはここに残っていてはいけない。空っ風が吹く胸を抱えたまま、一先ず、せめて散々世話になった最寄り(と言っても5,6キロは離れている)の農場主に会いに行った。恰幅の良い、さっぱりした小太りのおっさんで、薬草や木の実を持って行くと多めのパンやミルクを分けてもらえた。
 そのふっくらとした甘いパンや味の濃いミルクはもう要らなくなってしまったから。
 “彼女”が亡くなったから、旅に出ることにした。そんな簡単な挨拶を交わしたおっさんは、少しだけ寂しそうな顔をして“彼女”のことを悼んでくれた。
「不躾なんだが……ひとつ、訊いてもいいかい」
「何でしょう?」
「お前さん、あの女史さんとどんな関係だったんだ?」
 ちりっ、と胸の奥が悲鳴を上げた。年齢の解りづらい容姿をしていた“彼女”だが、さすがに40を数えた女といつまで経っても20半ばの男ではちぐはぐな印象が拭えなかった。恋人と胸を張って言えない矮小さが、ずっと胸に痞えていた。
 もう会うこともない他人にくらいは、そう言ってしまってもいいだろうか。俺の逡巡を見て取ったのか、おっさんは決まりの悪そうな顔をして謝った。
「いや、すまんな。ちょっとした好奇心なんだ。悪かった」
「いえ……」
「村の女たちがな。噂してたんだよ」
「噂……ですか」
 農場からすぐ側の村には、定期的に日用品を買いに出ていた。だが、病に伏せっていた“彼女”が同行したのは、一件しかない本屋に取り寄せの注文をするときくらいのものだった。
 そこまで思い返して、とんと噂だとか近所(というほど近くはないけれど)付き合いだとかに頓着していなかったことに気がついた。あのログハウスに移り住んでから、気にかかるのはか細い身体をした“彼女”の一挙手一投足ばかりだった。
 どこかぼんやりする俺の顔色を気にしつつ、農場主は苦笑いを張り付けたまま教えてくれた。
「いや、何というか……まあ、ヒマな農村の噂だからな。あんまり気を悪くしねぇでくれよ? 何であんな不便なとこに住んでるもんかなー、とな。親子にも見えなかったし、姉弟や恋人にしちゃあ歳が離れてるようだったしなぁ」
「……」
「やれ魔女が国を追われて兵士の兄ちゃんに見張られてるんだとか、歳を取らない女の妖が兄ちゃんを操って生き血を啜っているんだとか……本人が村にいないからって、呆れるような噂だよ。あの女史さん、美人だったからなぁ。僻みもあったんだろうなぁ」
「は……ぁ」
「いや、俺はとてもそんな風には見えんかったぜ? けど、村ん中にも空き家はあるのにわざわざあんな離れた不便な家に住んでたんだか、ちょっと気になっちまってな。女史さん、病気だったんだろ? 尚のこと、村や町の中にいた方が何かと心配なかったんじゃとか、兄ちゃんも毎回ここに来るのは苦労するだろうにとか……兄ちゃん?」
 目から鱗、なんて故郷の諺が他人事のように脳裏を過ぎった。実際、俺の目から零れていたのはやたら熱い透明な雫で、ぼたぼたと流れ落ちていく。霞んだ視界の片隅で、農場主が身体をくの字に折った俺を見て慌てていた。悪かった、大丈夫か、気分が、と言っている。
 気分を悪くしたのではなくて、そうではなくて。
 何故、そんな疑問を抱かなかったのだろう。何故、気付かなかったのだろう。
 病を抱えながら大きな街や都市を避けたのは、歳を重ねない俺と最期まで同じ距離を保つ為。最期まで、恋人で、2人で居続ける為。どうしようもない奇異に塗れた視線から、あの穏やかな暮らしを守る為。好き勝手な心ない噂から俺の弱くちっぽけな矜持を最期まで守る為。
 村から離れたログハウスなんて不便な場所を選んだのは、やがて独りになる俺の為。狭い村の中に留まってしまったら、俺はきっと“彼女”の少ない生命に食い下がって、最低限の外出しかしなかった。一周するのに一刻もかからない村の中での生活は、俺の体力も筋力も、旅に必要な野性的な勘さえ奪い取っただろう。“彼女”の死後、こうしてすぐに旅立てる体力と勘が残っていたのは日用品や食料を担ぎながら、山の中を往復し続けたからだ。
 ああ、どうして、本当に。
「……好きでした。最期まで、彼女を愛してました」
 それは半分真実で、半分嘘だった。故人に向けるべきではない猥雑さと苛烈さをもって、現在進行形で“彼女”の残り香が胸を焼いている。
 いつのまにかもらい泣きをしていた農場主は、俺の背中を叩き、日持ちのする食料をいくらか包んでくれた。墓があれば献花をとも申し出てくれた。“彼女”は墓を望まなかったから、その申し出は断るしかなかったけれど。
「兄ちゃん、これからどこに行くつもりなんだ?」
「……目的が、あるわけではないので。歩き出してから決めようかと」
「そうか……気を付けてな。ああ、そうだ、」
 ようやく立ち上がった俺に、農場主の涙声が届く。“彼女”の死を悼んでくれる人がいたことに、一匙、救われたような感覚を覚えながら俺はその声に耳を傾けた。

「こっから南の方は、最近、蛮族っつー奴らが暴れて荒れてるそうだ。悪いことは言わんから、気ぃつけてな」

 彼にとっては旅立つ俺の身を案じた、それだけの言葉だったのだろう。
 だけれども、
『――あの2人は、きっとまた生まれて無理矢理にでも縁を結ぶんだろうね』
『執念深い人たちだからさ』
『助けるんじゃなくて、一緒に死んでやれば良かったんだ』
『シリウス』
『にじゅう、何かひとつだけをけして諦めずにやり続けること』
『――ねえ、流れ星が見たいな』
 一瞬のうちに流れたフラッシュバックが、からからと五月蝿い俺の胸に仄暗い水を満たした。とぷり、とした泥水のような汚い水。
 もしも、本当に、生まれ変わりがあるのだとしたならば。
「……そんなところなら、きっと、みんなは星を見る余裕なんてないんでしょうね」
「あ? 星? あ、ああ……そ、だろうな」
 一変した俺の口調に、農場主が少しだけ狼狽えたように見えた。確かに、脈絡がないことを口走ったと思う。しかし、それがその後1000年貫くに値する化け物の生き方を決めた瞬間だった。
 “彼女”の最期の願いを、どうしても叶えたかった。ただ、それだけだった。
「……お世話になりました。それじゃあ、さようなら」
「お、おう……元気でな」
 彼と目を合わせずに、刀と“彼女”が遺した双銃と握り締めて俺は踵を返した。行き先は南。腰に吊り下げた短剣に映り込んだ俺の左眼は、醜いヴァイオレットに揺らめいていた。

 それから一月、南方の蛮族による抗争は嘘のように殲滅された。


「……それが最初でした。永久を生きる化け物に成り下がった平凡な少年は、その後1000年間、今も変わらず自分勝手な世界平和の為に生き続けているのでした」
 おしまい。そう閉める頃にはブラインドの向こうはとっぷりと暗闇に浸っていた。ブラインドのおかげで月明かりも星の光も届いて来ない。
 思い返してみてもまったく起承転結もない、ただ長ったらしいだけの物語だった。それなのに、いちいち込み上げてくるものを呑み込めなくて、じくじくと傷が痛んだ。
「……シリウスくん」
 ただ天井を見つめて滔々と記憶を手繰っていた俺の目元に、柔らかい、少しくすぐったい感触が触れる。レースのハンカチだった。すべて呑み込めずに溢れてしまっていたらしい。情けない。薄闇の中で見た萌さんの目尻は、見間違いか、少し赤らんでいた。
「おかえりなさい、シリウスくん」
 その言葉の意味を図れなくて、俺は戸惑った。眉根を寄せていると、強張った表情をしたままの萌さんが小さく拳を握りしめていた。
「……あなたのお母さんは、ずっとあなたの帰りを待っていたの。最期のときまで。ずっと。みんなに『もしあなたが帰って来たら、自分の代わりにおかえりなさいと言ってあげて』と遺して逝ったのよ」
「……」
 ぺちん、と開いた滑らかな手が頬を打った。擦り傷の出来た頬には、それなりに痛かったけれど、甘んじて受け入れた。
「そんな大事なこと、誰にも言わないで消えてしまうつもりだったの? 最後まで」
「……」
「どうしてそういうことをけろりとしてやっちゃうの? どうして、そんな寂しいこと平気で言うの! そんな子に育てた覚えはないわよ!」
「姐さん?」
 かたん、と立ち上がる音と同時に視界が遮られた。薄く白粉の匂いがする。震える細い手で、血に乾いた髪を掻き撫ぜられた。どこか懐かしくて、何故か少しだけ泣きたくなった。
「ずっと、ずっと願ってた。どんな形だっていい。そんなの構わないから、あなたたちが幸せであるように、って。ずっと」
「……」
「ありがとう。アルちゃんを幸せにしてくれて。でも、そんな寂しいことを言うのはやめて。世界に独りぼっちみたいな、そんな寂しい生き方はやめて」
 ――さみしい?
 憧憬を開いてみたら、そこには1000年を経てもまだ子供のままの俺がいたらしい。さみしい、さみしい。そんな単純な感情を持て余して、途方に暮れた。ずっと埋まらない空白。暗い水で満たされた何もない胸中。
 ――アル、俺はさみしかった、のか?
 答えの返って来ない問いかけを宙に放り投げた。答えがないはずの問いかけだったのに、すとんと胸に何かが落ちてくる。
 いち、下手くそな嘘は吐かないこと。
 ――ああ、そうか。
 ただの昔話に涙を流すことも、下手くそな嘘なのか。胸に走る痛みに気付かないフリをし続けるのも、嘘のうちなのか。さみしいと、口に出さないことも嘘になるのか。
 再び廻った“彼女”の口から吐かれる「はじめまして」がつらい。“彼女”と生まれ来る“彼女”を同一に見られないことがこわい。何よりも、また冷たくなった“彼女”を見なくてはいけないのが、見送らなければいけない命が、さみしい。
 新しい生を受けた“彼女”に干渉してはいけないと思うのも本当。
 蜂蜜入りのホットミルクで少しだけ緩むあの表情をもう一度見たいと思うのも本当。
 関わった先に訪れるだろう別れが身を裂かれるほど怖いのも本当。
 どれもこれも矛盾だらけの無形。積み上げた思い出が大切過ぎて、どう転んだところで胸を抉る未来がつらい。だから、逃げるのだ。嘘を吐くのは、昔から苦手だったから。逃げるのばかり上手くなった。
 本当は今、目の前で泣かせてしまっている女性(ひと)に手を伸ばすことさえ怖いのだ。
 いつか訪れる別れに臆病になり過ぎた。
 それでも、この女性(ひと)を泣かせたくはないな、と。そう、思った。
「……すいません」
 口をついて出たのはそんなありふれた懺悔だった。
「でも、俺、みんなに申し訳ないくらい後悔はしていないんです。死ぬことより、どんなことより、何より、大切だったんです」
 誰が、なんて聞かれなかった。何が、なんて聞かれなかった。気の利いた愛の言葉なんて、思いつかないけれど、萌さんは涙を溜めた目を少しだけ見開いた。そうして何故だか、泣き笑いのような顔で微笑まれた。
「……そんな幸せそうな声で言われたら、これ以上、お説教できないじゃない」
 幸福? ああ、確かにそうかもしれない。“彼女”を思い描くときは、どんなにさみしくとも、どんなにこわくとも、とても幸せだった。
 1000年経っても不器用なままの俺には、きっとその高潔な涙は上手く拭えない。代わりに、言い忘れていたことをひとつだけ落とした。
「――ただいま、帰りました」

 

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