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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。 汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。 証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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飛べない少年へ捧ぐまつりうた【前】

飛べなくなった少年の夢のはなし。

※過去話もたらたら書いていたら無駄に長くなってござる。




 自分の家、というものは無意識に安心を覚える場所だと、常々彼女は思っている。
 風花ノ尊、氷ノ女、神の末席、六花。どんな呼ばれ方をしていたとしても、それは変わらない。それが人の概念に存在する“家”の形を取っていなかったとして、のんびりと紅茶のカップを傾けられる場所が風花の家――神域だった。
 だというのに、ほんの数日ほど留守にして戻って来てみれば、そこには違和感を覚える香り。いつでも雪の結晶が降り注ぎ、蓮華草の蜜がやわらかに香っている彼女の神域のど真ん中にその異物は居た。
 風花はらしくなく、少しだけ戸惑った。縁のない神ではないが、何故、どうしてここに“アレ”がいるのだ。
「――白翼姫神」
「半年ぶりじゃの。風花の」
 彼女よりほんの2千年ほど先輩の美しい神がそこにいた。こうして相対すると、まるで鏡を見ているようだ、と愚痴を吐きたくなる。それもそのはず。この神は風花にとっての祖であるのだから。
 風花と同じ色の金の糸を、風花と同じ白い指で弄び、風花と同じ色の瞳で人心を見透かす。
 風花自身にその神を毛嫌いする理由は特にない。かと言って特別に好いているわけでもないが。いや、そんなことはどうでもいい。
「何故、あなたがここにいる?」
「……そなた、様々なものに長けておるが、ひとつだけ苦手としているのは確かなようじゃのう。そんなところは父によく似ておる」
 風花と同じ色の唇で、そんなことを謳い出す。苛立ちを隠そうともせずに舌を打つ。元々、感情を抑制することは嫌いなのだ。
「何が言いたいの?」
「そなたも恋の駆け引きを牛耳るには、些か幼すぎたようじゃ」
「……何ですって?」
 聞き捨てならない科白であった。姫神はぷつり、と手元に咲いた花を摘む。それはその指先に摘まれた途端、生力を失くしてくたりと腐り落ちる。風花は目を見開いた。
「主が壊れる」
 情欲の穢れさえ祓うはずの神は、端的にそう言った。

 飛べない少年へ捧ぐまつりうた

 かなし、かなしや、こいのうた。
 障子の向こうで声がする。くるくる回る風車。夕刻が近いのだろうか、透けた障子の向こうは赤い。
 ああ、またこの夢か。と璃音はぼんやりと納得する。遠い昔は、毎日のように見ていたこともある夢だ。懐かしささえ覚える夢――。
 くやし、くやしや、あいのうた。
 障子の向こうの歌は悲鳴にも似た嬌声。回り続ける風車は水子への手向け。透けた赤は夕日ではなく破瓜の象徴。あいに満ちた部屋の中、ただひたすらに歌は続く。
 にくし、にくしや、ひとのこら。
 どうにもかなわぬこのゆめは、さいのかわらになげすてましょう。
 どうにもきえぬこのこころ、いどのなかへとしずめましょう。
 飽きるほど聞き続けていたその歌だから、璃音は最後までを知っている。そうして苦しむ恋ならばと、女たちはその心ごと恋も愛も捨て去り、どうにも愛せない男のどうにも愛せない子を抱え、己の中に宿った神を恨みながら独り泣く。そんな歌。
 そこまで思い出して、璃音はふと違和感を抱く。父によって愛されたその神は、許されずともと手を伸ばす恋に触れたあの神は、璃音と同調し、その性質を変えたのではなかったか。その在り方を、変えたのは自分ではなかったか。
 おかしい。どうして、今さらこの夢を見る。
 そう自覚したと同時に、かつて見ていた夢とは違うことに気がついた。嬌声が、女の悲鳴が、やたらに近い。風車の音がからからと遠い。障子に散った赤い花が、鮮やかすぎる。ふと身体がやたらに気怠いことに気がついて、視線を落としてみれば――
「――あ」
 褥に横たわる白い肢体。振り乱された長い髪。瞳は正気を失って生気がない。破かれた着物。
「あ、あ、あ――あ、ぁ……」
 心臓が早鐘を打ち、凄まじい吐き気が込み上げる。

 障子の向こうで、女を穢していたのは、自分だった。


 息苦しさから浮上する。眠りながら本当に息を止めていたかもしれない。咽ながら耳に五月蝿く感じるほどの心音をどうにか正常に引き戻す。身体中からじっとりとした脂汗が吹き出し、震え出しそうな指先に力を込める。布団に潜りこませていたはずの指先が、妙に冷えていた。
「ゆ、め……」
 吐いた声は不自然なまでに掠れていた。言い聞かせるように呟いてしまったが、あれは、いや、あれは夢で。駄目だ、すぐには纏まりそうにない。
 緩慢に上体を起こすと、汗で濡れた金の髪が零れ落ち――
「――え」
「若様、起きていらっしゃいますか? 若様」
 女中である薊の涼やかな声が、障子の向こうから聞こえる。
「今朝は随分とのんびりですので、奥様がご心配されております。お身体の具合でも……」
「何でもないよ。直ぐに行く」
 何でもなくはない上に、おそらく飛び起きて直ぐには行けないだろう。けれども嘘を吐いた。今は障子の前から彼女に立ち去ってもらう方が先だ。
「そうですか。では、皆さまお待ちしておりますので」
「支度するから、親父――父上に先に朝飯食ってて、って言って置いて」
「はぁ、珍しいこともありますね。承知致しました」
 立ち去る直前に、薊は含みのあるころころとした笑いを残していった。これはあれだ。男の子って朝は大変ね、な下の意味に取られたかもしれない。そうだったらまだ健康的で良かった。
 心臓の辺りを抑えたまま、恐る恐る姿見を振り返って。
「うそ……だろ」
 昨晩まで何ともなかったはずの金の髪が、腰元にまで伸びていた。


 最後の書類に判を押して、深く息を吐く。これで終わり。西日が差し込む生徒会室は、明るい黄昏に染まっていた。耳を澄ませば部活動に精を出す生徒たちの掛け声と、ボールの弾む音までが聞こえる。いつもと何も変わらない。そのいつもに安堵を覚えて、いつのまにか張り詰めていた頬を緩ませた。
「璃音」
 どさり、と紙束が置かれる音に目をやれば、蒼太が処理済みの書類を纏め上げたところだった。璃音が目を通し、注釈を入れ、判を押し、蒼太が選別して整理する。この二人三脚もいつも通りだ。
「お疲れさま。今日はこれで終わりー!」
 そう言って自らも思い切り伸びをする。お疲れ、と声をかけるといつも通りの笑みと缶コーヒーが返ってきた。
「さんきゅー。つっかれたぁー」
「半年不在の生徒会長、御苦労さん」
「それ嫌味? もうそろそろ許せよ」
「あはは、ごめんごめん」
 そう言ってわざとらしく両手を合わせる親友に唇を尖らせる。……フリを、する。軽やかな他愛ない会話のキャッチボール。璃音はそれを結構、気に入っていたはずだ。“前”は5つという歳の差で、どことなく畏まっていた蒼太が今では同い年の対等。お互いに記憶を持ってはいるが、その新鮮味を楽しんでいた。……はずだ。
 ぐるりと一周回った思考に、自己嫌悪する。
 津守の家で、叔父と叔母に、青牙に、知って置いてもらいたいと差し出された簪に触れてから――前世で妻と呼んだ少女の最期を知ってから、ゆうに半月が過ぎようとしている。桜は葉桜に。陽気は暑気に。季節が変わってしまうのは早いものだと思う。
 目の前で缶コーヒーを傾けながら、話す友人に相槌を打ちながら考える。
 そろそろ潮時、だとは思っているのだ。
 蒼太の父と母、璃音にとっての叔父と叔母は、彼に本当の真実を打ち明けるタイミングを計っているだろう。すべての記憶を背負っている彼の弟の青牙も同じくだ。そして、その席には璃音も座らなくてはならない。正確に言えば、座る決意を固めなければならない。叔父と叔母は、璃音が本当に呑み込めるまでは待つから、と言っていた。
 やらなければいけないことなんて、進まなければいけない方向なんて、本当は知っているのだ。真実を知った蒼太を支えてやること。沙緒の心の傷を癒し、穢れから守る手助けをすること。そうして陰ながら、出しゃばらない程度に、幸福を、望むこと。――自分自身が、前を、前を。
「璃音、璃音って。おい」
「……ん? 悪い。どうした?」
 少し耽り過ぎたらしい。眉間に皺を寄せた蒼太の顔が、目の前にあった。不可解そうにこちらを見て、唸ったあとに唇の端を吊り上げる。
「鈴音と喧嘩でもしたの?」
 ずくり、と痛んだ心臓の鼓動をやり過ごす。
「……してないよ。別に」
「本当かぁ? がっつき過ぎて引かれたとか。あ、この間、後輩の女の子に告白されたのがバレたとか?」
「お前、本当、そういうところは九重ねーちゃんに似たよな」
 親友は胸を張り、「先生だったからね」と笑う。だが、次の瞬間には真顔になって、正面から見据えてきた。
「でも真面目な話、ここんとこずっと大人しいしさ。冬はあんなあてつけか! ってくらいいちゃいちゃいちゃいちゃしてたのに。倦怠期?」
「蒼太。撲殺と絞殺どっちがいい?」
「ノーセンキュー」
 そう言って蒼太は大袈裟に身体を逸らし、両手でバッテン印を作る。その表情はとても朗らかだ。だから、言える。
 ――悪くない。こいつは、何も、悪くない。
 目の前の誰かを責めるのは簡単だ。すべてを自分の所為にして殻に閉じこもるのは、もっと楽だ。
 ――ああ、もう。
 わざと大袈裟に両手を打ち鳴らして立ち上がる。
「どこ行くの?」
「屋上」


 手元の鍵で屋上の扉を開け放つと、少しだけ蒸した風が璃音の首筋を吹き抜ける。普段は閉鎖されているが、これは生徒会の特権である。フェンスに囲われたコンクリートの地面。ふと頭上を仰げば、目に痛いほど青い空が続いている。いつもは背中を押される風に、今は抑えつけられているような錯覚を覚えた。
 立ち入り禁止の屋上には誰もいない。誰に見られることもない。
 すう、と大きく息を吸い、
「……駄目、か」
 霧散した神力は形を成す前に千切れ飛び、風を切って駆けるための翼は現れない。予測していたはずなのに、思った以上にショックを受けている自分がいた。誰に見られることもないから、ぐらりと傾いた身体に逆らわず、フェンスにもたれかかる。
 何が悪かったのか。何を間違ったのか。それが解ればいいのかもしれない。けれども、もうどこから間違ってしまったのかがわからない。
「あ……」
 ふと落とした視線の片隅に、ふわりと靡く綺麗な黒髪が映った。大和に置いては璃音のような髪色が目立つけれど、璃音がその艶やかさを見間違うはずがなかった。
「……鈴」
 フェンスに身体を預けたまま見遣ると、遠目に彼女の腕の中で嬉しそうに笑う少年の姿が見えた。遅咲きの桜と葉桜を束ねて、小さな手で鈴音の髪を飾り付けていく。淡い朱鷺色の髪飾りは、彼女の髪によく映えた。
 満足げに胸を張る少年に、鈴音は穏やかに、どこか安堵したように、微笑む。小さな少年はそんな彼女の手を取って、そっと紳士の真似事をして口付ける。ぱっ、と顔を赤らめて肩を跳ねさせた鈴音の髪から花びらが落ちる。会話は聞こえて来ないが、きっと心から鈴音は安らいでいる。
 少年。紫鳳院時都。前世で鈴音が入内した春宮。幼いながらも、彼女に多大な好意を寄せていた。そして鈴音も確かに少年を愛していた。どんなに幼くとも、夫婦だったのだ。だから、無理もないことだ。無理もない、
「――っ」
 ずくん、と胸に走った衝撃に、璃音はフェンスに縋りつく。目の前に火花が散る。逆流した胃液が喉を焼いて、咳き込みながら吐き出した。胃の中が空だったせいで、何も出ては来ない。何度かえづくが、なかなか止まらない。止まってくれない。
 ――その人は、俺のなのに。
 ――本当は、俺が触れていられるはずなのに。
 ――笑顔なら、俺だけに向けて欲しいのに。
 ――俺が、安らぐ場所をあげたいのに。
 ぐらぐら煮え立つ怒りと焦燥が入り混じった嫉妬心は、胸を貫き、脳髄を焼いて、身体の震えを呼んでくる。脳裏を回る欲求が理不尽なことなんて知っている。知っているのに。
 ――知らなかった。
 自分が、こんなにも嫉妬深いなんて知らなかった。手を伸ばそうにもその景色はフェンスに遮られて届かない。すぐにでも飛んで行ってその手を自分の方へ連れ戻したいのに、今の璃音には翼がない。触れたいのに、今、あの手にさえ璃音は触れられない。
 ――鈴。
 胸中で何度呼びかけても、彼女がこちらを振り向くことはない。赤らめた顔で、少し怒ったような表情で、何を言っているのだろう。
 もうこのまま、一生、飛べないのかもしれない。
 もう、彼女を抱き締めて空を駆けることも出来ないのかもしれない。
 蹲って吐き気を堪えていると、はらりと腕にくすぐったい感触がかかる。まただ。今度は背中まで伸びていた。璃音は内ポケットに忍ばせていた鋏を抜くと、伸びてしまった髪を切り落とす。霊力の宿る髪を放置するわけにはいかないので、携帯していた袋へ無造作に放り投げる。今日だけで、もう袋の三分の二が埋まっている。あとで燃やしてしまわなければ。
 自分の負の感情に振り回されている。平素なら真っ先に階段を駆け下りて、校庭へ出て、大人気ない真似をしたのだろう。けれど、今、この感情に任せていたら何をしてしまうのか、璃音は予想がつかなかった。
 ――俺、どこから間違えたのかな。
 こんなに、自分が弱い人間だとは思わなかった。


 璃音があの夢を初めて見たのは、3歳になったばかりのときだった。3歳、と言ってもそれは前世の3歳である。
 最初に見たのは、夜闇を駆ける男女。追い掛ける何人もの足音。息を切らして逃げるうち、ぷつり、と女の鼻緒が切れる。躓いた女を庇おうとした男の背中に立つ兵。暗闇にきらりと光る刀身。女の悲鳴。男の呻き声。長い金の髪を掴まれて引き摺られた女は、碧の眼からぼろぼろと雫を零す。大きな古木の根元に転がされた女の衣が、無造作に引き千切られる音。
 混濁した意識の水底で、痛ましい女の悔恨が胸を焼く。
 ああ、どうしてあの人が私がこんな髪をしていたから私がこんな瞳をしていたから私にこんな血が流れていたから全部全部ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいこんな私がこんな私だからやっぱり、
 ――“恋”なんて、してはいけなかった。
 幼い璃音は、あの夢の半分も理解出来てはいなかった。ただただ、女の執拗な情念だけが、目覚めた後も焼印のように胸に残されて、何だかわからない痛みに泣き叫ぶことしか出来なかった。何故、泣いているのかもよくよく説明できない璃音に、周囲の者は戸惑うばかりだった。
 ただ、母と父だけは何かを悟ったように根気よく璃音をあやしてくれた。
 幼い頃の母が自分と同じ夢を見続けていたのだと知ったのは、それから少しだけ成長した後だった。
 そうして毎晩のように、あの赤い障子の夢を見るようになった。悲鳴のような嬌声。回り続ける風車。透けた赤の障子。目覚めようと足掻いても、どうにも身体は動かない。目は開いている感覚があるのに、閉じることも伏せることも出来ない。耳を塞ぐことだって出来やしない。
 ……本当だったら、眠ることを拒み、その声から、音から、逃れようと知らないふりをして心を閉ざすのかもしれない。
 けれども、何故だか璃音はそんな気になれなかった。
 手を伸ばさなければ。
 あの声を聞かなければ。
 この眼で見なければ。
 夢から、逃げてはいけない。
 逃げてしまったら――。
 そんな使命感に囚われながら、毎夜、毎夜、少しずつ、動かない身体を必死に引き摺って、這いずって、障子へと近づいた。ようやく指が届いたその日、赤い障子に触れた瞬間に身体の拘束が解けた。
 やっとの想いで障子を開くと、それまで聞こえていた声と音は止み、からからと廻る風車の音だけが響くようになった。障子の向こうにいたのは、泣き啜る一人の女。金の髪を振り乱し、帯を千切られ、着物を肌蹴させて、青白い胸に凄惨なほどの赤い痕を残した女が、血の涙を流し続けていた。褥には点々とした血の跡と、あとはよくわからない染みの跡。
 それが情事の痕跡だと、幼すぎる璃音に解るはずもなかった。けれども、咽かえるような妙な匂いに、“よくない”ことだけはわかった。
 まだ気怠い身体を引き摺って、璃音は顔を覆う女に近づいた。そっとその落ちた袖を引こうとして、唐突に女の腕が伸びた。
「――ひっ、ぐ、ぁ、あ」
『……男。子供。こども。おとこ』
 夢であるのに、首に絡みついて締め上げる女の指は痛くて、苦しくて、息が止まりそうで。それでも目は閉じなかった。耳は塞がなかった。
 血の涙を流し続ける女は、そのまま恨み言を吐き続ける。ぶつぶつと、滔々と、自身を穢した男への憎しみを、我が身を無理矢理貫かれた痛みを、腹に宿った子供を愛し切れない嘆きを、ぶつけるように璃音に語り続けた。それを璃音が理解出来ていたかはわからない。ただ、ただ、涙が零れた。女の嘆きに呼応したのか、ただ締め付けられた首が苦しかっただけなのか。解らなかったけれど、零れた。
 その璃音の涙が女の指に触れたとき、女の力が少しだけ緩んだ。
 女の呟きは延々と続く。だが少しずつ変化していく。恨みから嘆きへ、嘆きから深い哀しみへ、哀しみから後悔へ、後悔から再び生まれ変わる幻想の希望へ。移り変わる毎に、血の涙は透き通り、女の顔を洗い流していく。もうその頃には璃音の首から女の指は外れていた。
 女の全身が透き通り、胸に散らされていた赤も消えていた。女はその指で璃音の髪を撫ぜ、苦しめたことを詫びた。
 璃音は特別なことをしたわけではなかった。ただ女から目を逸らさなかった、耳を塞がなかった。それだけだ。しかし、誰にも言えない想いを、河へ井戸へと沈めてしまった想いを昇華するには十分だったのだろう。透けた身体はさらさらと零れ落ち、粉雪のような光の粒に融けていく。
『――ああ、でも本当なら』

『本当なら、愛した方に、捧げたかった』

 弾けた女の身体。舞い散る光の粒。止まる風車。思わず手を伸ばした璃音の手には、
「白い……羽根?」
『これは驚いた』
 頭の中に響いた声に振り返る。そこには翼を黒い血で穢された、金の髪と碧い眼の女神が立っていた。


 それが、璃音と白翼姫神との最初の出会いだった。
 それからずっと璃音と姫神は涙を呑み続けた女たちの声を聞き続け、染まってしまった羽根の色を還し続けた。ひとりひとり、一枚、一枚。もう随分と過去のことだが、思えば気が遠くなるほど長かった。少しでも気を抜けば、“あちら”側へ引きずり込まれてしまう。“彼女たち”の声を聞くのは、姫神には出来ない。璃音でなくてはならない。心と身体、どちらも整っていなければ、“彼女たち”に呑まれてしまう。
 体調を崩していても、気分や機嫌が悪くても、夢は見る。同調が激し過ぎて貫かれる痛みや吐き気まで共有してしまったこともあった。誰かに話そうにも、その“ひとりひとり”には、璃音自身の曾祖母や祖母の零した想いも含まれている。今、目の前で笑いながら曾孫を抱き締めている曾祖母の過去をひっくり返すようなことなど出来なくて。
 すべてをやり遂げたそのとき、璃音は随分と成熟したような子供になっていたと思う。周囲はこれで天武の二代目も安泰だと喜んだが、今、思えばあの“璃音”は成熟したわけではなかった。たぶん、おそらく、あの時点で、“璃音”は人間らしい心のどこかを殺したのだ。

 すべてのものを、赦すために。
 すべてのことを、受け入れる為に。

「その、ツケ払いが今、ってことか……」
 呑み込み切れなかった悪意が、赦し難かった事実が、璃音の意識を苛んでいる。いつの時代にも存在する“彼女たち”のような亡霊は、救いを求めて璃音へと手を伸ばす。“それら”は璃音がほんの少しの悪意――たとえば嫉妬、たとえば悲哀、たとえば憎悪――を抱いただけでつけ入り、増大させてくる。お前だけ幸福になるのは許さない、と。お前も“こっち”へ来るべき人間だと。
 対して璃音の身体は抗う。璃音の表面意識を押しやって、神力を限界まで引き上げようとする。すべてのものを、すべての感情を、すべての記憶を受け入れようとする。赦そうとする。――神の御座に引き摺り上げようとする。
 解っている。どちらになってしまってもいけないことを解っている。なりたくないと璃音の我儘な意識は叫ぶ。その足掻きを汲み上げた身体は力を引き上げる。悪循環。
「……戻るか」
 飛べない現人神に空は毒だ。立ち去ろうと踵を返した璃音の制服のポケットが、微妙な振動を伝える。小首を傾げながらスマートフォンを出し、ディプレイを確認した。
「沙緒?」

 

 紅く紅く燃え上がる空 夕陽今日の終わりを
 祝い祈りまた明日の日の 夢を託し沈んで
 夜の闇を迎え夢見る 永遠に幸続くように
 開ける空は君を重ねて 希う

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