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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。 汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。 証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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華歌残照 『花』

※冒頭のみちょっとR-18気味注意


 感じたことのない甘やかさを持って滑る指。
 知ることのなかった熱を孕んで触れる唇。
 自分でも触れるどころか、目にも止めていないような処まで、その手は優しく開いて、暴いていく。雪解けの梅の蕾を愛でるのと同じ柔らかさで。頬から耳下の首の筋、鎖骨の窪み、胸の頂、脇腹の骨の筋。甲骨の溝、背骨の線、持ち上げた膝の裏、太股の内側を辿った舌と指は自分の指では触れたことさえない秘芯のさらに奥へと辿り着く。
 どこかの歌人は、彼を海の底に眠る火の山のようだと説いた。涼やかに揺蕩うように動く指先は、確かにそれだけの熱を孕んで初心な身体を焼き付けた。
 奥を、奥を。子を孕む器官まで、身体の奥に眠る魂魄までを求めて繋がり合った残滓の熱は、この身体に一生消えない痛みと傷を焼き付けた。


 痛みと傷は一生涯、残るものだと天良華音は考えている。
 幼い頃、まだ何も知らない華音に、面差しさえよく分からない大人たちが付けた傷痕は、今でも胸を苛んでいるからだ。
 清らかな天良の血を穢す姫。
 仮腹の役目も果たせぬ無用な女子。
 勇敢だったはずの母が儲けた唯一の不名誉。不実の子。
 痛かった。とてもとても痛かった。けれども、いちばん痛かったのは、痛がるほどに御身に宿った現人神が、不必要なまでに他を切り刻んでしまうことだった。
 だから、自分以外の人はどうでもいいと思うようになった。
 一人は少し寂しいけれど。嫌な人、怖い人、良く思わない人。自分が向けてしまった黒い悪意の翼で、誰かを引き裂いてしまうよりずっとずっと楽だった。幸い、半分だけでも天良の姫だった自分は、自分で婿や友人を作る必要はなかった。人を選ぶ自由など、最初からないものだったから、それが悪いことだと思うこともなかった。
 武神を宿した天良の姫は、人を好きになる必要なんて、なかったんだ。

『大丈夫。俺はこんなことで、壊れたりしないから』

 ねぇねぇ、どうして笑っていたの。
 あなたの身体を傷つけた。あなたの心を傷つけた。その真っ黒な怖い翼は、わたしのものだよ。わたしが持って産まれてしまった怖いものだよ。
 わたしはあなたが思ったような、きれいな身体も心もひとつも持ってない。大嫌い、だいきらい。黙っていてもわたしだと知られてしまう、こんな金の髪と碧い眼なんてだいきらい。わたしなんてだいきらい。きれいなままでいられる心なんてひとつもない。きっとあなたもそう言うよ。そう言う日が来るよ。それを嫌がったわがままなわたしは、あの黒い羽根であなたを殺してしまうんだ。

『大丈夫。きっとずっとずっと大好きだから。やさしい君が、大好きだから』

 うそだよ。今はほんとうでも、きっといつか変わってしまう。
 知ってるんだ。人は神には敵わない。それが世界のことわりだ。わたしの中の神様は、きっとあなたを殺してしまう。はなして、離して、この手を離して。そして人は人を愛せばいい。それはとても幸せなことなんだ。あなたはその幸せを知らないだけ。

 ――大丈夫。この手は君を壊さない。君(お前)が何かを壊してしまうなら、その全部を守るから。お前から。世界から。全部を守れるくらい、強くなると誓うから。

 はなして、はなして。わたしは嫌だ。わたしのわがままで、わたしのような不幸なこどもをうみたくないの。はなして、はなして、しってるよ。いつか冷める愛でもこどもはできる。わたしがあなたを受け入れたなら、わたしの中に取り返しのつかない不幸を一つ、生んでしまうのをしってるよ。

 

 この想いに、理さえ変える力があると、信じたいんだ。

 

「――っ!」
 気が付くと、そこは見慣れない天井だった。見慣れてはいないけれども、不安にはならない張り方をした樫の木の天井。不思議な雲のように煤けた染みの一つに、思い出が染みついている。
 そこがどこだったか悟ると同時に、ふんわりと嗅ぎ馴れた香りが身体を包んでいることに気が付いた。
 爽やかな青い竹の香り。ずっとずっと昔から、彼が纏っていた優しい香り。
 無意識にその香りを探そうと身体を動かすと、痺れるような痛みが下腹部に走った。痛みには慣れているはずなのに、感じたことのない疼きの為なのか、ぺとりと褥の上に倒れ込む。
 ――あ、そういえばそうだっけ……。
 いつのまにか褥が真新しいものに変えられている。肩にしっかりとかけられているのは、主の香りを放つ大きな羽織だった。つい、先程までの情事を思い出して、頬に血が上るのが分かった。
 痛みは痛いだけなんだと思っていた。傷は開いたまま血を流し続けるものだと思っていた。けれど、確かな甘さと温もりを含んだ悦楽にも似た痛みは、仄かな心地良い熱を持って華音を包んでいた。この痛みはなんだろう。でも、痛みで良かった。痛かったことは、たとえ死んでも忘れないから、きっとどこへでもこの痛みは持って行ける。
 ――さっきのは……。
 間を置いて、夢心地で見た記憶を思い出す。
 ――蓮に会う前の、わたしだ。
 まだ身体に宿った現人神を御することさえ出来ず、人に怯えては目の前のものを傷つけて、世界を恐れては目先を切り裂いていた。そんな自分が大嫌いで、世界のすべてが自分を憎んでいると信じていた。世界に嫌われては、誰も知らない山の中に逃げ込んで、現人神の荒ぶりが鎮まるのを一人で待ち続けていた。
 彼は、その私を見つけてくれたんだ。
 視界の中に、あの夕陽色の髪がないのが無性に寂しくなって、無意識に隣を探す。ない。気だるさと痛みを堪えてのそのそと寝返りを打つと、解放された障子の向こうの縁側にさらさらと流れる黄昏色の髪が見えた。
「……起こしたか?」
 青竹の葉が、さらさらと風に擦れる音がする。障子戸の向こうから吹きつける初夏の風に、火照っていた肌が冷まされていく。爽やかな風と共に、秀麗に整った顔がこちらを向いた。
「……」
 少年の頃とは見違える程、獣の鋭さと賢さを宿した瞳。でも、自分を見る鳶色は変わらない。
 意を決して腹に来る鈍痛を抑えると、華音はもそもそと起き上がった。だるいが身体は彼の体温を感じたかった。単衣を引き摺るようにして縁側に出て、いつもそうしていたように袖を引く。小さな杯を傾けていた手は、酒器を木目に置いて少し冷えた肩を抱き寄せてくれた。
「冷えるぞ」
「平気」
 こうするから、と蓮の羽織っていた上着の中に潜り込む。逞しく、身体を預けてもびくともしない胸板に頬を摺り寄せると、頭上で優しげな溜め息が漏れた。背中と肩を抱きこんで、大きな手に抱き締められれば、満たされると同時に微かな痛みが心臓を突く。あれ。痛いことなんて何もされていないのに。それに痛いのに嫌じゃない。
「すまない。少し、考え事をしていた」
 謝られたのは、目覚めてすぐの傍らにいなかったことだろうか。そういえば彼は、華音が傷を負った時、心が弱った時、どちらも着いた床のすぐ側に居てくれた。
「考え事?」
「……天良の祖母様と、少し話したんだ」
 無意識のうちに、指が震えてしまった。華音にとっては唯一の肉親で、少しだけ怖いけれど、でもいつも華音を守ってくれていた人だ。子供と遊んでくれるような人ではなかったけれど、でもやっぱり大好きな家族だった。
 けれども、その祖母は、華音の知らないところで目の前の人を貶め続けていたようだった。他ならない、華音を守る為に。
「華音、勘違いするな」
 俯かせてしまった面の頬を、熱い手が覆う。その手は叱咤するように上を向かせる。鳶色の澄んだ瞳と目が合った。
「俺は欠片もあの人を憎んだことなどない。互いにお前を大事に思ったが故に、すれ違っただけだ。感謝こそすれ、恨み事など一つもない」
「……うん」
 この人の心はどこまで綺麗なんだろう。男の身体は柔らかくないと聞いた。でも、この心は柔らかい。
「その天良の祖母様がな、俺に申したんだ」
「?」
「……天良の家督と土地をな。そっくりそのまま、継ぐ気はないかと」
 華音の目が丸くなった。元来、天良の家督は女しか継がない。特異な女流の武家であり、現人神の武神を奉り続けた一族が故のしきたりだ。祖母はその天良の血を、自分の代で断ち切りたいと願った。もうこの名前とこの血を切って捨て去りたいと願っていた。
 だからこそ、有望な軍の士である彼を突っ撥ねたのである。
 その祖母が、蓮に、家督を継がせると言ったのか。
 それはつまり――。
「俺はな」
 華音が事態を把握するのを待ってから、蓮は再度唇に言葉を乗せる。竹林の向こうから、青い青い風を連れて吹いた爽やかな夏風が、彼の長い髪を揺らした。夕日と同じ色の髪。焔と同じ髪。あの日、彼の家族を奪い去った赤い悪魔と同じ色をした髪。
 武鎧蓮の紅の髪は、懺悔と償罪の楔だった。長く伸ばしたその髪が、彼の視界で揺れる度に、彼は大切な家族を焼き尽くした焔を思い出す。そうしてあの日を、誰もが蔑んで忘れかけたあの日を、今日という日まで鮮明に目に、記憶に焼き付けてきた。忘れるな。それが、蓮が己にかけた生涯の呪いと鎖だった。
「あのときに、二度と家は持たないと誓った」
 鷹爪――武鎧の家は、周囲や御所の不興を買っていた。建て直したところで、それは無駄に重い蓮の枷にしかならない。そして数年後、五ッ瀬に残る自らの身体に燻る禍を知ったとき、蓮はこの血は来世まで持っていくものではない、と悟ったのだ。
 だからこそ家興どころか、次代に子供を残すことまでも諦めた。
 その、彼の目の前にぶら下がったのは、予測すらしていなかった大きな勲章で。
 その勲章は、何よりも愛しい目の前の少女や、その家族、失われるはずだったその家で暮らす多くの兵や世話人たちの居る場所を守る為のもので。けれども、それを受け取ることは、自らが立てた矜持と華音を天良という血から開放してやりたい、と最初の願とは随分と違う。祖母の言う通りに嫁に行けば、家にも何にも囚われなくて済むはずだった彼女を、再び縫い止めてしまうことにはならないか――。
「華音」
「……」
「俺と祖母様は天良の家を変えようと思っている。歴史が古い分、大仕事になる。どうしても、お前を良くない場に晒さなくてはいけなくなるかもしれん」
「そんなの」
 構わない、と華音は言った。ずっとずっと昔から思っていたこと。私はあなたに守られたいんじゃあない。私はあなたを守りたいんだと。世界の優しさを教えてくれたあなたを、今度はこの世界から、たった一人のあなたを守りたい。
 蓮は言葉を詰まらせては首を振る華音を、穏やかな表情で眺めていた。夜が明ける前の淡い月の光が、逆光に彼の美しい横顔を照らしていた。
「……お前の大事にしてきたもの、人の居場所。自身のちっぽけな決意の為に、それらを見捨てたとあったら、親父も恭二郎も呆れるだろうな」
 すう、と蓮の鳶色の瞳が、月の光を浴びて綺麗に澄み渡った。この目は知っている。彼の鷹隊設立のとき、髪を解いて今は亡き父の面影を背に抱き、威風堂々と式の場に現れた、あの、武鎧蓮の目だ。決意と、誓いを宿した、何よりも、誰よりも強い、妨げるもの総てを貫くための目。
 けれど、ほんの少し違うのは――
 その瞳の中に、華音に向けた視線の中に、他の人間には向けない甘やかな熱が灯っていること。
「華音」
 やり場のなくなっていた細い手を、節の目立つ大きな手が握り締めた。今度はきつく。痛くとも、辛くとも、二度と離れなくなるのではないかと思うほどに強い力で、結ばれた。
 目はもう逸らせなくなっていた。澄み切って透明な熱を持つ鳶色から、目が離せない。逸らしてはいけない、と思った。逸らしてはいけない。けれども、彼の唇から漏れた声が、私の考えていることとまったく違ったなら、どうしよう。その時、私はきっと立ち直れないかもしれない。
 不安と期待とが複雑に入り混じる。
「俺は、お前に、お前が愛した天良の家も、家族も、何一つ捨てさせたくはない。お前が愛していたように、俺もあの場所に報いたいと思う」
 蓮の逆の手が華音の胸元に伸びた。そっと首と胸元の間を覆った大きな手が、小さな温もりを華音の中に与えてくれる。

「ここにいた、お前の一部だった、現人神にも、だ」

「……」
「華音」
 寄りかかっていた柱から背を離して、蓮は華音と正面から向き直った。群青の衣を纏う彼は、いつも涼やかで、けれどもそのときだけは瞳と繋いだ指に、信じられないくらいの透明な熱を持っていた。
「俺に、お前と、お前が守ってきた家と、お前が忌み嫌った現人神と、全部を、一生守らせてくれないか?」
「……それ、は……えっと、」

「俺を、伴侶に、共に、すべてを守らせてくれ。華音」

 秀麗な顔を月の逆光に微笑ませて、若き鷹の美しい低い声は、華音の耳にそう囁いた。





 ああ、嬉しいときにも涙ってこんなに溢れるものなんだね。知らなかったよ。
 聖さん、あの日の約束は、わたしはちゃんと守れているかな。ちゃんと蓮を守って、家族になれていたかな。
 恭二郎さん、母さんのことで苦しめてごめんね。お兄さんを助けられなくてごめんなさい。そちらで、ちゃんと兄弟二人で会えていますか。
 蘭さん、蓮はこんなに大きくなったよ。わたしに残してくれた料理の作り方。本当は綺麗に纏めてあなたの息子の北様に渡そうと思っていたけれど、これからもずっとずっと使わせてもらっていいですか。
 鈴ちゃん、助けてあげられなくてごめんね。お飯事ではずっとお母さんの役をあなたが、お父さんの役を蓮がやっていたけれど。ねぇ、そっちに行くまでちょっとだけ、わたしがお母さん役をやってもいいかなぁ。
 浪崎さん、ごめんなさい。子供さんは元気だったよ。奥さんは少し身体を病んでいたけれど、もう大丈夫。洸がお母さんたちを支えていけるようになるまで、絶対に見捨てたりしないからね。
 みんな、みんな、この人をとても大切にしていた人たち。わたしでいいですか。わたしで彼は幸せになってくれますか。
 お母さん、お父さん。わたしは幸せだよ。わたしだけこんなに幸せで、恨まれても仕方ないよね。
 そちらに行ったらきちんと怒られるから、覚悟はするから、だから今はこの愛を受け取ってもいいですか。


 母上様、母上様。
 太古の血の祖となりし母上様。
 わたしの中にずっと居た母上様。
 わたしはずっとあなたを傷つけ続けてきました。
 あなたはずっとわたしを守ってくれました。
 彼はわたしとあなたのすべてを愛してくれました。
 この血に残ったうらみつらみを、今こそ賽の河原に流しましょう。先代たちが重ねた恨みを、私が土の中まで持って逝きます。
 かなし、かなしや、こいのうた。
 くやし、くやしや、あいのうた。
 にくし、にくしや、ひとのこら。
 武神の姫の恨み唄。慕情に秘めたこの唄は、ようやくこの夜に終わります。
 恨みの答えは神に抗うことではない。神を愛せ。太古の人が覚えた愛を、今、この身に取り戻そうか。


 おかえり、おかえり、母上様。
 おかえり、おかえり、武神の姫の恋心。





 泣きながら、胸が裂かれる痛みがずっと華音を苛んでいた。ぴしぴしと音を立てて、甘やかで幸福な孤独な痛みが、全身に響き渡る。泣いている。泣いている。二千年、燻り続けた現人神の姫らの恋心が、一度に弾けて泣いている。
 あなたはあんな幼い頃から、この痛みを知っていたんだね。
 自惚れてもいいですか。その痛みをあなたに刻んだわたしを、幸せと呼んでいいですか。
 もう、わたしは、彼女らは、この世界を恨まなくていいですか。
「恨まなくていい。お前はこの世にたった一つ、祝福を願って名づけられた華の音だ」
 母が名づけた華の音。
 わたしはずっと、華が息絶える音ばかりを聞いていた。だから、ずっと散ることばかり考えていた。艶やかに、潔く。鮮やかな色だけが、人の記憶に残ればいい。そう思っていたけれど。
 あなたは本当のわたしの名前を、とうの昔に知っていたんだね。
 遠い地で恋を覚えた母君様。あなたが願ったのは、こんな恋ですか。痛い、痛いよ。痛いけれど、こんな痛みなら一生握りしめて離さない。
 堅く、堅く、骨が軋むほど抱き締められて、その痛みを受け入れるように身体を預ける。風も、空気も、立ち入れない程隙間なく。そうしていれば、たとえ身体が朽ちて灰になっても、魂はこの想いを持っていけるような気がしたんだ。


 やっと華音が泣き止んだのは、身体中の涙が枯れ果てて、しゃっくりだけが止まらなくなってからだった。ただでさえ汗を掻いた後だというのに、からからに乾いた体が火照って落ち着かない。
「ひぐっ……えっく……んぅ」
 しゃくりあげるだけの自分の顎を掬い上げて、蓮は少し冷めた白湯を飲ませてくれた。湯呑を噛む余裕もなかったから、一度、己の口に含んで唇からだ。親鳥が雛に呑ませる水のように、少しずつ、少しずつ、潤いを注がれる。渇き切ってしまった喉が、少しずつ癒されていく。
「……ありがと」
 袖で目元を擦りながら漏らした声は、ひどく掠れていた。今、鏡を見たくない。生娘なりに色々と整えた心算でいたのに、これでは何もかも台無しじゃあないか。
 けれども華音の落ち込みとはまるで真逆に、彼は小さく微笑んで擦る手を遮って、自分の指で涙を拭ってくれた。
「……で」
「?」
「答えを聞かされてないんだが」
 落ち着いて渡された湯呑に口を付けながら、唇を尖らせる。頬が熱くなるのが解った。今のが嫌で流した涙だとでも言うのだろうか。
 ――……っていうものでも、ないのか。
 解っていても口にしなければいけない想いというものはある。自分も、彼も、見ない振りでそれを避け続けたから、こんなに大人になってから子供のように大騒ぎしたのだった。
 それでもやっぱり言葉に出すのは羞恥が過ぎて、湯呑で顔を隠しながら、小さく、こくりと頷いた。
 空になった湯呑ごと、包むように抱き締められた。こんなに手が早い男だっただろうか。心地良い匂いのする胸元に顔を埋めながら、目を閉じる。
 ――あ、撫でられる代わりに抱き締められてるだけか。
 そういえば、この男は自分の頭を撫でるのが好きだった。子供扱いされているのだと思って、いつも面白くない顔をしていたけれど、自分がいつも手でなく、袖を掴んでいたのと同じだ。触れたくても、掴んでしまうのが、怖かっただけだ。
 青い竹の香りに混じって、彼と同じ名前を持った花の香りがする。
 自分はどんな匂いがするのだろうか。嫌な匂いじゃないといいな。今は恥ずかしいけれど、またの時にでも聞いてみよう。
 しばらく互いに温もりを楽しんでから、下腹部の痛みを思い出した。そして、はた、と気付く。
「……蓮」
「何だ」
「あの……さ」
 口にするのは物凄く恥ずかしいのかもしれない。でも、これだけは聞いて置かなくてはならない。きっと、たぶん、そう。この行為はきっとこれからも何度もするのだろうから、今のうちに。
「……えと、あの、ということは、さ」
「?」
「……あたし、との、赤さま出来ちゃっても、嫌じゃない……?」
 こつこつと、落ち着かなく握った両手の拳を合わせながら聞く。彼が今の今まで見合いや結納話を拒んでいた理由の一つは、禍を持ち、武鎧の名を残すのを悼んでいたからだ。うらみつらみを歌い続けた天良の跡継ぎを産むのを拒んで、兵を選んだ自分と同じように。
 杯に残っていた酒に口をつけた男の手が止まる。
「あ、あの、あたしは、さ……えと、蓮の赤さまだったら、欲しいなー……なんて」
 彼は十一の頃に天涯孤独となった。自分には祖母がいるけれど、彼にはもうこの世に血の繋がった家族はいない。勿論、家族は血の繋がりばかりで産まれるものではないけれど、一度失くした家族を彼に作ってやれるのなら、それはとても嬉しいことだと思った。
 天良の姫は、もう人の子を恨む必要はないのだから。
 しかし、彼は僅かに眉間に皺を寄せると、杯の滴を一気に飲み干した。深く深く溜め息を吐いて、前髪を片手でくしゃりと掻き乱す。
 不快にさせたかな、と言葉を取り消そうとすると、
「う、ひゃっ!?」
 唐突に立ち上がった彼に、軽々と姫抱きにされた。突然の浮遊感に瞬きをしていると、ごつり、と小突くように額をぶつけられる。目の前にあった鳶色の眼は、焼き切れるように熱かった。
「……煽った馬鹿はお前だぞ」
 ――・・・あ。
 窘めるように言われて、何となく気づく。ひょっとして、もゆや瑠那が言うところの煽るというやつをしてしまったのだろうか。
 ――まあ、いいや。
 気が引けたのは一瞬で、すぐに別にいいかと思い直す。思いの外、自分は単純に出来ているらしい。
 痛いけれど、やらなければ慣れないと誰かが言っていた気がする。それにちょっとくらい痛くて動けなくなった方が、明日、一緒に居られる時間が伸びるかもしれない。
 そんな、少し狡いことを思いながら、単衣の袖に頬を摺り寄せた。広い広い肩越しに、障子の閉まる音がした。

 

 

「……参ったな」
 友人たちと訪れた深い山の奥で、幼い武鎧蓮は頭を捻っていた。湿った足元を踏みしめると、ぱきり、ぱきり、と小枝の爆ぜる音がする。
 普段は訪れない山の中。遊びに耽るうちに、大分、深くまで入り込んでしまったらしい。大きな獣――おそらく猪か何かだとは思う――に襲われて、仲間の一人を庇った拍子に足を滑らせてしまった。幸い、落ちたのがなだらかな崖だったおかげで怪我こそしなかったが、登れるような角度でもなく、見事に迷ってしまった。
 生い茂った木の合間から覗く陽の傾きを見れば、きっと一人では帰れる。自分は平気だ。
「でも、あいつら大丈夫かな……?」
 ひとり言を呟きながら、木刀で足元の草を掻き分けていると、ふと、人の気配がした。
 友人のものかと思ったが、違う。それよりも、もっと小さくて、もっと大人しくて、もっと、儚い。
 ――こんな、山の中に?
 草を掻き分ける方向を変えて歩き出す。張り出した南天の枝を追いやって、蓮は獣道を抜けた。

 

 ほのかに甘い、姫やかな蓮華の蜜の香りがした。







(華歌イメージソング)
youtube→http://www.youtube.com/watch?v=wUrlfSZXDzw
ニコニコ→http://www.nicovideo.jp/watch/sm1465243

愛のメロディー/KOKIA

あなたまるで木漏れ日のように
私に生きる希望くれた 幸せが笑った
記憶の中の温もり胸に
何よりも強い絆を感じているわ

私が私らしく居られるのは あなたが居るから
あなたを愛して生まれた歌を歌おう 私の愛の証に
信じて どこまでも届けわたしの想い あなたが生きている事が真実
愛おしくて 嬉しくて 悲しくて 切なくて
悔しくて もどかしくて 愛のメロディー

絡みあった心の糸を
解きぐす前に別れた 辛くても望んだ
「この愛を貫こう」独り言のように 永久に
誓いをたてる
愛をしさに包まれるメロディー 舞い上がれ空に

その瞳に見えない大切な物を見せよう 溢れる愛の泉に
想いはどこまでも深く 時を超えても 生きてゆける それが私の愛の歌
mmm 触れる肌を 吐息がなぞる

「ねぇ もうねちゃったの?」 それなら耳もとで「I love you」

私が私らしく居られるのは あなたが居るから
あなたを愛して生まれた歌を歌おう 私の愛の証に
信じて どこまでも届けわたしの想い あなたが生きている事が真実

その瞳に見えない大切なものを見せよう 溢れる愛の泉に
あなたと出逢って 流れ出したこのメロディー
震えている今この時も生きてる
愛おしくて 嬉しくて 悲しくて 切なくて
悔しくて もどかしくて 愛のメロディー

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おめでとうございます(*´∀`*)

蓮くん…片想いながかったね…。でもその月日は無駄ではなかったと小春は思うお(*´∀`*)
二人の絆を改めて感じさせられたお話でした。

これからもどうぞよろしくお願いします^^
ありがとうございます(*´∀`*)

長かったけど蓮の胸の中に無駄な思い出なんて一つもないお!(*´∀`*)
二人一緒に幸せになります。

どうぞよろしくお願いします!(`・ω・´)
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