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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。 汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。 証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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武神の姫の恨み唄【壱】

この想いに、理さえ変える力があると、信じたかったんだ。

作業BGM『涙の種、笑顔の花/中川翔子』

※すっかりいいお嫁さんになった花室が、最初は如何に酷かったか。
 ピュア純愛過ぎて作者がのろのろとしか書けなかった御子息の一目惚れのお話。
 続くけれど弐話は壱話のピュアを置き去りにしたただのコントになります(←)



 はっと意識を取り戻した瞬間。目の前はぐるりと回り、頭はがんがんと鈍痛を訴えた。身体を起こそうとすると、全身に出来た切り傷から悲鳴が上がる。
「――ぃってぇ……」
 腕や足が問題無く動くことが不幸中の幸いだった。ぐらぐらと揺れる視界も、次第に明確になっていく。半身を起こして真上を見上げると、自分が滑り落ちて来た竹藪の崖があった。高い樹木に遮られて姿は見えないが、慌てた様子で騒ぎ立てる友人たちの叫び声が聞こえる。
 ああ、そうだ。下級生を庇って落っこちたんだっけ。
 自らが落ちた高い崖を見上げながら、蓮は半ば他人事のように回想した。あんなところから落ちてしっかり動けるということは、無意識のうちに受け身を取っていたのかもしれない。文字通り、日頃の行いというものは大事である。
「おぉーい、大丈夫かぁっ!?」
 上へ向かって大声を上げると、ざわめきはぴたり、と止んだ後にまた五月蝿くなった。大丈夫か、怪我してねぇか、動けるか、今人を、馬鹿、人を呼んだりしたらマズイだろ。そんな実に纏まりのない会話が降って来る。
 まあ、悪戯に忍び込んだ山の中で仲間が一人、崖の下に落ちたりしたら慌てない方がおかしいだろう。
 ――だからやめとけ、って言ったのに。
 独りごちながら、竹藪に包まれた崖にぐっと足を掛けてみる。ずるり、と滑った乾いた土にこれは駄目だと首を振った。
「俺はこっちで何とか道を探すから、お前らはそのまま山降りろーっ! いいなっ!?」
 ざわざわと不安げな声が上がっていたが、やがてその通りにした方が良い、と気づいたのかぽつぽつと気配が移動を始める。蓮は蓮で身を起こし、すっかり泥と土に汚れてしまった武道着と袴を申し訳程度に払うと、道のない竹林の藪を歩き出した。草履が近くに転がってくれていて助かった。こんなところを素足で歩いたりしたら、確実に致命的な怪我をする。
 まったく、特別に神様を信仰する家の出ではないのだけれど、これだから悪い事というのはするものじゃないのだ。


 武姫神山、という山がある。
 標高はそこまで高くなく、裾野が広がるような形で都の郊外に広がっている山。教書や一般の史書室にある書物に記されているのはそこまでで、何の植物が自生しているか、何の樹木に囲われているか、何の生物が生息しているか等、地理的な情報は一切書かれていない。
 何故なのか。答えは割とありきたりで、とある旧家が収める私有地であるが故に情報が開示されていないのである。大人たちは、特に男子を子どもに持つ都の親たちは、真剣に子どもたちに言い含める。山で遊ぶのは良いけれど、神域とあの山には入ってはいけません、と。そしてこれもまたありきたりな話で、隠されると余計に見てみたいと好奇心を疼かせるのが子どもという生き物である。
 級友たちが目を輝かせて話を持ち出して来たとき、はっきり言って蓮は乗り気ではなかった。
 他家の私有地ということも勿論、理由の一つではあるのだが、土も地理感もない山に七つを数えたばかりの子どもだけで入るというのは危険行為以外の何物でもない。けれども一度、決めてしまったら決行してしまうというのがこれまた子どもの頑固なところで、そんな危なっかしい友人たちを見捨てて置けるほど薄情でなかったというのが蓮の運の悪さだった。
 案の定、獣道程度の道しか見つからなかった山の中。ひとつ下の未だ山道を歩き慣れていない生徒が、道を踏み外した。その先は竹藪の崖下で、危ないと思ったときには手が伸びていて。身体を反転させるように庇った結果がこの様である。
 まあ、落ちたのが蓮ではなく、あの少年だったとすればもっと酷い怪我のひとつやふたつしていただろうから、そういう意味ではまだマシだったかもしれない。
「と、言ってもなぁ……」
 蓮は途方に暮れながら青竹の群れから差す木漏れ日を見上げる。まだ十分に日は高いものの、迷い続ければその分、体力は消耗するし、何が潜んでいるかわからない山中である。いつも手にしている木刀も、こんな場所ではかえって邪魔になるかと思って置いて来てしまった。夜になる前にどうにか道を見つけられればいいのだけれど。
「せめて、はっきり日の位置が分かればいいんだけどな」
 そう思いはするものの、残念なことに竹林の葉はがさがさと耳障りなほど風に揺れて、陽光を遮っている。とにもかくにも、もっと広い場所に出なくては。
 唸った後、道着を誂えてくれた父の部下で二番目の母のような人に詫びながら、袴を留める予備の細い帯紐を小太刀で裂いた。それを一本、一本、竹の節に巻きつけながら進む。最悪、夜になっても戻れなかったときは、さすがに友人たちも助けを呼んでくれるだろう。落ちた場所から目印を残して置けば、探して迷うこともない。
 どれほど歩いただろうか。
 ――川?
 さああ、と清水が流れる音が、鼓膜を打った。この葉擦れのざわめきの中で届いてくるのだから、そんなに遠くではないのだろう。蓮はぐう、を唸って腕を組んだ。
 人間は川というものを見つけると安心する。水というものは誰もが知っている通り、高い場所から低い場所へと流れるもので、川という存在は少なくとも登頂と下山を勘違いする心配はなくなるわけで、上手くすれば川沿いに歩くだけで知った場所に出られると思い込む。
 だが、この山の裾野はかなり広いのだ。運良く川下が都の方へ伸びて居ればいいが、まったくの逆方向に出てしまえば、見知らぬ場所で二次遭難。なんてことになりかねない。かといって他に明確な道標があるか、と考えればまったくないわけで。
「まあ、とりあえず行ってみるか」
 人間、二、三日ならば水だけで生活出来ると読んだこともある。飲めるような川であれば、とりあえず僥倖なのではないだろうか。そんなことを考えて、蓮は再び竹藪を踏みしめた。


 音が近づいてくると、俄かに足元がぬかるみ始めていることに気付く。
 ここ最近は夏真っ盛りの晴ればかりだったので、雨で湿ったわけではない。どうやらこの山の土は石より砂に近い土で出来ているらしい。五つ離れた義兄やその親友について山道を歩き慣れていて良かったと思う。こんなところでまた足を踏み外すなんて御免である。
「よっ、と」
 なだらかな傾斜になった緩い崖を降りると、竹藪はそこで終わっていた。少しだけ傾いた日差しが眩しくて、竹藪の中を彷徨っていた時間が案外、長かったことに気付く。
「……滝だったのか」
 竹林が途切れて常緑樹が鮮やかな緑色を放つ下生えに出れば、少し遠目に緩やかだが白絹のように流れ落ちる小さな滝が見えた。何はさておき、川沿いに出ようと歩を進めようとして、
 ――え?
 三歩ほど歩いたところで、滝の側で小さく蠢く何かの気配に気がついた。山の水場なのだから、何かの獣だろうかと神経を尖らせてみるとどうにも大人しく、そしてもっとも慣れ親しんだ動物のものであることが分かる。人間。でも、こんな山奥に?
 先程、別れた仲間だろうか。否、気配はひとつしかないし、ああまで言って自ら危険性を訴えたのにわざわざ踏み込んでくるとも思えない。では、山籠もり中の修行僧か山伏か。けれど、気配は何というか気をつけて神経を張り巡らせていなければ消えてしまいそうにか細いものであるし、そもそも子どもが踏み入れられるような場所でそのような者たちが山籠もりをするだろうか。
 気づかない振りで川下に向かおうか、それとも人であったなら道を知っているだろうか。
 二択を浮かべて、やっぱり好奇心に負けた。私有地に入り込んでいるというのに、そういったところは蓮だってまだまだ好奇心旺盛な子どもであったのだ。
 背丈よりやや高い木の枝をそうっと払い退け、滝の流れる川縁へと歩を進めて。
 ふと、蓮華の花の蜜の香りが鼻孔を擽った。
 足元で折れた小枝のぱきり、という小さな音が聞こえたのだろう。川縁の草っぱらに座っていた小さな影が、顔を上げて、その瞳と目が合った。
「――っ」
 女の子。まだ小さい。たぶん、蓮よりも年下。そんな見れば分かるような情報だけが、頭を駆け巡って、先程までさんざ考えていたどうしてこんなところに、という疑問が思い出せなかった。
 顔を上げた拍子にはらはらと零れた髪が、木漏れ日に照らされて金色に煌めいた。一匙、一匙、ゆっくりと丁寧に蜂蜜を垂らしたかのような金色の髪。緩やかに束ねる蝶々結びの赤い紐が、眩しい程の光の中でよく映える。ぼんやりとこちらを眺める大きな二粒の宝石は、瑠璃よりは淡く澄み切っていて、天青石よりも沈んだ落ち着いた輝きを宿している。唇はふくりと小さく、足元に咲く蓮華草よりもっと淡い。僅かに伏せながらもこちらを物珍しそうに眺める面は、あどけないながらも一粒の不思議な優美さを誇っていた。
 巫女、なのだろうか。華奢な鎖骨が覗く赤襦袢に清らかな白衣(びゃくえ)を重ね、蓮華草の咲く花畑に緋袴の裾が広がっている。その袴の傍に咲く花を、ぷつん、ぷつん、と暇そうに摘む白魚の指が動く所作は可憐そのものだった。こくり、と今にも折れてしまいそうな首を傾げると、また木漏れ日と共に蜜色の髪が儚げにはらりと肩から落ちた。
 あの上質な蜂蜜のような髪は、香りを嗅いだとしたら、やっぱり甘いのだろうか――。
 そんな莫迦なことまで考えて、ようやく蓮ははくり、と息を吸い込んだ。自分が息を止めていたことにさえ、やっとそのとき気がついた。
 きれい、とは思わなかった。
 うつくしい、とも思わなかった。
 では、どう思ったのかと聞かれたら、蓮は唸るしかない。だって、白絹の滝を背に可憐な蓮華草の花畑に腰を下ろしたその小さな女の子は、綺麗だとか美しいだとか、そんなもので形容するに足りなかったのだ。
 霊能力など持ち合わせていない蓮ではあったが、その女の子が山の花精や山神の娘なのだ、と言われたなら、たぶん、本気で信じていた。それ程までに、そのときの彼女は浮世離れした儚さと鮮烈さを併せ持っていたのだ。
 別段、蓮は美人や可愛い人に無縁だったわけではない。むしろ審美眼にかけては育ちの所為でひとつ、抜きん出ていたのではないかと思う。
 異国の人ではあったけれども、どこか儚げで芯の強い美しさを持った母は蓮の自慢であったし、よく顔を合わせる幼馴染の母親とて、とてももうすぐ二児の母になるとは思えない、愛らしい美人だと思っている。その娘である幼馴染の少女だって、少々、お転婆な面はあるものの、僅か七つで下卑た男に目をつけられるくらいに器量良しであることを知っている。よくつるむことが多い九条の家の大姫だって、破天荒が過ぎる置屋の飼い猫だって、極端に傍迷惑な性格が災いしているだけで大人しく着飾ればきっと可愛らしいのだろう。
 でも、目にしただけで言葉が出て来ないなんてことは起こらなかった。
 でも、我に返るまで息を止めていたことに気がつかないなんてことは起こらなかった。
 こんな肌が粟立つような鮮やか過ぎる感情は知らない。
 こんな息が詰まるような切ない苛烈さは知らない。
 無意識のうちに一歩近づいてしまった分だけ、少女は肩を強張らせてそろそろと膝で後退った。怖がらせた、と思った瞬間に詫びの言葉を吐こうとして、先に開いた桜貝の唇が雲雀の囀る声を上げた。
「きえてください。あなたのことはきらいです」
 抑揚なく吐き出された辛辣な一言だった。つきり、と硝子の破片で擦ったような痛みが胸に走る一方で、ひどく強烈な違和感を覚えた。
 普通、そんなことを言い放つ声には、嫌悪感や警戒心が乗って然るべきだ。しかし、少女の口にしたそれは本当に何の抑揚もなかったのである。嫌い、疎ましい、というより、無関心。そんな言葉がぴったりと嵌ってしまうような。
 違和感の正体を探ろうとして、はた、と何故こんな女の子がこんな山奥にいるのだろうと、一番初めに気がつくべき違和感を思い出した。問いかけようと再度、口を開くが、少女は蓮の存在を丸きり無視して視線を逸らす。ぷい、と顔を背けて立ち上がろうとして、
 ぺたり。
「……」
「……」
 力が入らなかったらしい足をかくり、と折って座り込んだ。難しそうに真一文字に結んだ唇が、微かに震えている。整った眉が戸惑うようにきゅ、と寄せられていた。
 ――これは、もしかして。
 妙な予感がして、少女が座り込んでいる辺りを見渡す。すると彼女のすぐ傍の小さな崖の表面が、何かが滑り落ちたように地面剥き出しになっているのが見つかった。よくよく観察すれば周囲の小枝もご丁寧にぽきぽきと折れている。
「え、と……。もしかして、足とか膝とか、どこか痛い、か?」
「……」
 沈黙して俯いた。何となく気まずげな雰囲気を醸し出している、ということはおそらく図星なのだろう。
 どうしよう。人を呼んで来れるような場所ではないし、違和感はあったが自分は嫌われているようだし。かといって放って置くという選択肢は蓮の中には既になかった。
 こうなれば駄目元だ、と少女からやや距離を置いて視線だけは合うように屈み込む。
「どこが痛いかわかるか? 出来れば見せてほしいんだけど」
「……きえてください。あなたのことはきらいです」
 気まずげに眉を寄せたまま、また少女は抑揚のない声でそう言った。だが、態度はどこか当惑して迷っているように見える。ひょっとしたら、それ以外の言葉を喋れないのではないだろうか。そんな妙な疑念さえ湧いてくる。
「こんなところで動けないで、夜が来たら困るだろう?」
「……」
 めげずにもう一押ししてみると、彼女は首を捻ったあとにそろそろと袴の裾を持ち上げた。投げ出された右足の踝の辺りがぷっくりと、見事なまでに赤く腫れ上がっていて蓮は顔をしかめた。相当、痛かっただろうに、先程、この少女は蓮から離れる為に立ち上がろうとしたのである。
「ごめんな。怖いことはしないから、少しだけ我慢してくれ」
 足袋は小枝が刺さり放題で、履いていても余計に傷をつけるだけだと判断して、少女が怯えないようそろりと脱がす。少女は指が触れた瞬間にわずかに身を強張らせたが、手を振り払って来ようとまではしなかった。
 日にも当たらず真っ白で細い足だが、動かせるということは、骨には支障ないらしい。とすると捻挫、になるのだろうか。どちらにせよ、早く医者に診せた方が良いに決まっている。
「ちょっと待ってろ」
 滝の流れる清流に近づくと、ちょうど良い塩梅に蓮でも下りられそうなほとりがあった。懐から手拭いを取り出して、夏だというにひやりと冷たい冷水に浸す。出かけるときは忘れずに持っていきなさい、と口酸っぱく躾けてくれた月森に感謝だ。
 ぐっ、と絞った手拭いを持って戻ると、少女は言われた通りに足を投げ出したまま座っていた。少しは警戒を解いてくれたのか、それとも痛みで動くのが億劫だっただけだろうか。
 腫れた足に手拭いを当てると、少女はその冷たさに震えたようだが、我慢してもらうことにする。そのまま冷たい手拭いを細い足に一周させて解けないように結びつけると、ふぅ、と息を吐く。
「ここじゃ、こんな応急処置くらいしか出来ないもんな。早く医者に診せないと……でも、どうやって市井まで帰ったもんかな」
 蓮が唸り始めると、少女の表情が初めて動いた。立ち上がる蓮を見て、実に不可解そうに目を瞬かせる。沈んだ目で人を突き放していたときは随分と大人びて見えたが、きょとりとした顔は年相応に愛らしい。――じゃなくて。
 彼女は何を言っているのだ、と言わんばかりの表情で真っ直ぐに川下を指差していた。
「……川の下……青の神殿、の近く……」
「……」
 どうやら深く考え過ぎだったらしい。ならば、と少女の前に背を向けてしゃがみ込むと、またくてりと首を傾げられた。
「嫌かもしれないけど、その足じゃ歩けないだろ? だから、おんぶ」
「……おん、ぶ?」
 訝しげにぎゅ、と眉間に皺を寄せる。嫌がっているというよりは、意味がわからないという響きを持っていた声色に戸惑っていると、
「……って、なに?」
 ……本当に人間ではない何かなのではなかろうか。去来した馬鹿げた疑念を振り払い、どう説明したものか頭を捻る。
「俺が背負って連れて行くから……。えーと、とりあえず肩に手をついて、それからあまり後ろに体重をかけないように……。落ちると危ないからな」
 誰に言い訳しているのだろう、と自問自答する。少女は大分、警戒を解いてくれたのか、おずおずと小さな手で道着の肩に縋りついてきた。辛抱強く待ってから立ち上がると、驚いたのか、慌てて背中にしがみついてくる。拍子にふわりと棚引いた金の糸からは、やっぱり甘い蓮華の蜜の香りがした。


 やはり裾野の広い山というのは厄介だ。
 少女を背負いながら出来るだけ、安全な道を選んでいたら、山を下りる頃にはすっかり夕刻になっていた。市井へ繋がる門を遠目に思わず安堵の息が漏れる。そうしてから、背中の子はどうしようとあえて考えずにいた問題が頭の隅から引っ張り出される。
 怪我をしているのだから医療院へ運ぶべきなのだろうが、もしかしたら家人が探しているかもしれない。けれど、山を下りる間、終始、無言を貫いていた少女からどこの家の子どもなのか聞き出せる語彙力が、今の蓮にあるだろうか。何故、あんな山奥に一人でいたのかという疑問も結局、解決していない。
 さあ、どうしようかと市井に入るのを躊躇っていると、
「お嬢!」
「花室っ!?」
 焦燥に駆られた甲高い女性の声が耳に届いた。その声にびくり、と背中の少女が震えたことに気がついて、蓮は声の方を振り返る。
 市井の門を出入りする人の群れの中から、ひどく慌てた様子で2人の女性が駆け寄ってくるのが見えた。綺麗なぬばたまの黒髪を品良く結い上げ、上質の紬を纏っていたが、ところどころ皺が寄ってしまったり、一、二本、髪が解れてしまっている。余程、慌てて探し回っていたのだろう。
 家人が見つかった安心と、何故だかよくわからないもやっとしたものを感じながら、2人の女性に向き合う。そのうちの一人――気の強そうな切れ長の目が特徴の、まだ十を出て間もないほどに見える女性は、少女が蓮に背負われているのを見ると目の色を変えた。
「あなた、どちらの若君ですか? 何故、花室を負われているのです? この娘に何かしましたか?」
 答える暇もなく、矢次早に問い詰められて困惑する。目はずっと鋭く蓮を睨んでいて、質問攻めの割にはこちらの反論を許してくれない。むしろ今にも喰ってかかりそうなのを堪えている、といった風が正しいかもしれない。
 今更だったが、本来、入ってはならない山に踏み入ったという後ろ暗さもある。困り果てて黙っていると、傍らにいたもう一人の女性が助け舟を出してくれた。
「義姉(あね)姫さま、そう熱くならんと。男子が皆、獣のように恐ろしいわけやありませんえ」
「しかし、薊(あざみ)……っ!」
「なぁ、若様。その御髪は鷹爪はんとこの若様やろ。可愛らしなぁ。うちのお嬢とはどこで会いはったんです?」
「えと、あの、たまたま足を挫いているのを見つけて。歩けなさそうだ……歩くのは少し無理そうでしたので」
 この女性は一回り程、年上だろうか。言葉尻や仕草はとても柔らかく見えたが、覗き込んだ目はしっかり笑っては居らず、嘘は許さないとばかりに蓮を見定めていた。嘘ではないので当たり障りなく答えると、薊と呼ばれた彼女は納得したように頷いてくれた。
「ほうでしたか。それはご迷惑をおかけしてもうて。さて、お嬢、こちらにおいでなさいな」
 背中の少女に呼びかけた視線の位置がまったく変わっていなかったことに、蓮は初めてこの女性が蓮の答えを聞きながらずっと少女の反応を見ていたのだと気づく。もし、蓮が嘘を吐いていたら、背中の少女は隠すこともなく、怪訝な表情を浮かべていただろうから。
 すう、と背中が冷えたのは、手を伸ばした少女が蓮の背中から女性の腕の中へと移動したことだけが理由ではないはずだ。
 女性は少女の足に結ばれた手拭いに気がつくと、何事か思案した後に再びあくまでにこやかに微笑んだ。
「ほんま、世話になってしもうたみたいで、えろうすいまへんなぁ。手拭いは後で家のもんに届けさせますよって」
「え? いえ。そんな高いものじゃあないですし、」
「せやから今日のところは構いまへんけど、親御はんらの言うことはきちんときかへんとなぁ」
 二度はありまへんよってからに。女性は小さく呟くようにそう言った。その言葉にまた背中に冷たい汗が伝う。そうだ、何故思い至らなかったのだろう。あんな山奥に一人で居て、しかも市井までの道を知っていて、これだけ材料が揃っていたのに何故、少女があの山の持ち主の娘かもしれないという可能性に気付けなかったのだろう。
 憮然と成り行きを見守っていたもう一人の女性が、やはり険しい顔のまま、周りから隠すように少女の頭に布を被せてしまう。少女の目立つ金の髪を覆うためなのか、他の大家の姫が被るそれよりも大分厚い布である。
「ほな、おおきに。不躾ですいまへんなぁ。勘忍しておくれやす」
「あ――」
 何か、最後にと漏れた声を拾い上げたのか、無感情に抱かれていた少女が振り返った。その両目に色は無く、ただやっぱり最後まで抑揚はなく、
「きえてください。あなたのことはきらいです」
 と繰り返すだけだった。
 その一言に布を被せた女性が激昂するのではないか、と不安に思ったが、何故だかそんなこともなく、2人の女性は何やら複雑そうな表情を浮かべ、一礼して人波の中に紛れていった。
 西日の紅い夏の夕刻のことだった。蓮は共に山に入った友人たちが、その背を見つけて跳び掛かってくるまで、少女の消えた人波から目が離せないでいた。


 その日、邸に帰るなり、切り傷を放置し、泥だらけのまま自室に立て籠もった蓮は、家人を大いに心配させた。

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蓮くんかわゆす///

あまりの清廉さに胸打たれました……!
蓮くん可愛いよ蓮くん。二連に連れ歩かれてるのですねwww
ピュアっぷりに砂吐きましたw

「虫取りいくぞー( ゚∀゚)」
「川釣りいくぞー( ゚∀゚)」
「「おー!( ゚∀゚)」」
みたいなテンションで二連にもパパズにもいろいろ連れ歩かれているヴィジョンが見えましたw

この頃はとてもかわゆかったのにw
ちなみに武鎧家では、
恭「た、大変です、蘭さま! 御子息が反抗期です!(;゚Д゚)」
蘭「きょうちゃん、落ち着いて。男の子なんだから色々あるわよ」
という第一次家族会議が開かれて居た堪れなくなったのでちゃんと出て来ましたw
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