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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。 汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。 証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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鷹雛、後宮の催事にて歌を紡ぐ(花編)

 古い偉人の語るところに寄れば、天良の花室は恋をしないのだそうな。

 ※狩衣についての番外みたいなもの。
  作中では語らないと思うのでれんかの短編として保管。




「狩衣? 狩衣でいいのね!?」
 ぐい、と身を乗り出して詰め寄る幼い少女の気迫に苦笑しながら、槐(えんじゅ)は何度も頷いた。木の鬼と書いて槐。本名は知らない。
 物心がつく前にこの天良の家へ引き取られた槐は、一度だけその大花院がつけた名前に疑問を持ったことがある。赤子であった自分は、大花院には鬼子のように映ったのだろうか。そんな彼女の杞憂を笑って吹き飛ばした大花院は、懇切丁寧に由来となった槐という花について語ってくれた。
 黄藤とも呼ばれる槐は、甘い蜜の芳香を漂わせる花をつけ、その形はひらひらと宙を舞う蝶に似ている。蕾を干したものは止血薬として重宝され、後宮以前の古代には学問と権威の証として槐位(かいい)という官位が存在した。そう語った後に、大花院は槐の頭を撫ぜながら、「お前は器量が良いから、よく虫にたかられることだろう。蝶のように交わすか、もしくはお前が言うように鬼となって喰い殺してやればええ」と恐ろしくも頼もしいことを口にした。
 以来、槐は天良の間者として早足の姫兵となっている。
「本当だよ。海神の若衆が噂してたし、昼間、青龍軍の大将が来て、はなおばあさまが藍(あい)に繕うよう命令してたもん」
 聞き耳を立てて仕入れた裏付けに、目の前の一対の瞳は一層輝く。どこまでも抜けるような碧い空を映した瞳と、蜂蜜を一匙ずつ垂らしたかのように煌めく金糸の髪。十二を数える天良の花室は、少女特有の愛くるしさの中に女としての芯の強さを滲ませつつあった。
 天良の花室。
 天良一族の私有する姫兵一団は、彼女を守る為に存在していると言っても過言ではない。咲いて実を成し、熟せば武家に捧げられる花。純潔と高潔、そして何より花のように愛らしく可憐な従順を望まれる花の蕾。有史に讃えられるべき武士に与えられ、国の為にその血を残す役目を担う仮腹の娘。
 花室とは、そのままの意味で花室なのだ。ただただ、飾られ、愛でられていれば良いだけの花であれば。
 そんな沙羅の旧家の花室が、絶賛、反抗期中という話を聞けば、舌なめずりをしている俗物な男たちはどういった反応を示すのだろうか。槐は日々、想像しては笑っている。
 弾むように身を起こした花室――本名を天良華音という――の少女は、いそいそと桐箪笥の下段を開けると、大きめのたとう紙を持ち上げた。桐の箪笥から取り出されたはずが、ふんわりと何か別の香りが槐の鼻先を掠めていった。何だろう。花の香りではない。かといって木の香りともまた違う。そう、例えるなら初夏に嗅ぐ青い竹のような。
 そんなことを考えていると、包みが解かれて中身が露わになった。槐は思わず息を呑む。
「お、お嬢……?」
 さすがにぽかん、と口を開けてしまった槐を、花室は何かを窺うような不安げな目で覗き見て来る。
「……やっぱりこんなじゃあ駄目かな?」
「駄目っていうか」
 駄目も何も。何から問いて、何をどう諭すべきなのか。
 たとう紙から現れたのは、立派な男物の狩衣だった。花室はいずれ武家に嫁ぐ娘。幼少の頃からしっかりと花嫁修行を叩きこまれるし、その中には勿論、主となる人の為に狩衣や直垂を縫う針仕事も含まれる。だから、その彼女が狩衣を一着縫い上げられることは、けして不思議ではない。
 不思議ではないのだが。
「お嬢、この反物、どこで手に入れたの?」
 群青を落とした狩衣の斑紋は蓮の花であった。白絹の蓮に、輝かしく金で織り込まれた珍しい鳥の翼を模した刺繍。そっと触れてみれば金の糸は絹ではない質感を槐の指に伝えてくる。嫌な予感を感じて花室を睨むと、彼女は両手で美しい自身の髪を抑えた。やっぱり。
 花室は春になれば、姫兵として勤めに出るだろう。その先が禁軍になるか、後宮になるかは揉めている最中ではあるが、問題は未だ給与のない彼女がどうやってこの安物ではない反物を手に入れたかである。
 勿論、彼女の祖母に当たる天良の大花院は、修行用の反物ひとつも買い与えないような人間ではない。だが、この紋様を縫うことを許すはずがない。何故なら、大花院は花室がこの蓮の花と翼とが象徴する男子を慕っていることを憂いている。
 別に大花院は冷血なわけでも、理由なく孫娘の行く末に口出しをしているわけでもない。先にも言ったように花室は花であり、褒賞である。彼女が抱いているものが、未だ幼い新芽にもならないほど小さなものだとしても、育ち過ぎて身を裂かれる想いをするのは本人なのである。
 これがもし、出自のわからない金策であるならば、槐は咎めなければならない。いくら人を慕う想いからであっても、それが不義なものであるならば、男子にも花室にも不幸なだけだ。
 詰問を覚悟しての問いだったが、彼女は桜貝の唇をきゅ、と結んで真剣な眼差しを槐に向けた。
「――月森さまに、託されたの」
「……託された?」
 月森。月森靜。今は後宮姫兵の古株として、新兵へ教鞭を振るっているが、元は彼の男子の親鳥に仕えていた女性の名前だったはずだ。
「元々、蘭さま――鷹爪の北様は蓮の元服の衣をご自分で縫うお心算だったの。でも、蘭さまは大陸の出だったから、着物の縫い方を月森さまに御指導頂こうと思っていたのね。反物だけは選んで、月森さまがずっと保管されていたの」
 鷹爪の最期は蚊帳の外にいた槐から見ても凄惨なものであった。唐突に邸を襲った狂火は、ひとつ残らず鷹爪邸を住人ごと焼き尽くした。たまたま偶然、外に出ていた彼の鷹雛の君だけを残して。
 鷹雛の元服は、お世辞にも目出度いとは言い難いものになった。予てから鷹爪を目の上のたんこぶとしてきた皇族府や、我先にと寝返った鷹爪の親類縁者たちは、故人を悼むこともなく、ここぞとばかりに若い燕の如く彼を飼い殺そうとしたらしい。
 結局、彼の元服は後見人となった天良と海神が共同で行うことになった。成人を言祝ぐ儀式というよりは、彼に付いて回る昏い魔物どもから彼の身を守る為の縁繋ぎのお披露目会となってしまった。
「あの火事の直後、蓮の意識が戻らなくて、うちに保護していたときがあったじゃない? そのときに月森さまたちが来て、もう自分では縫えないからって――」
「ち、ちょっと待って、お嬢!」
 鷹爪邸が焼き尽くされたのは、鷹雛の君が十一の頃である。二つ離れた冬生まれの花室は当時、やっと九つを数えたばかりで、つまり参内の話が出た今では四年ほど経過していることになる。
 そういえば確かにその頃からの花室は、それまで淡々と熟していた花嫁修行に躍起になっていた気がする。義姉の絵莉奈に叱責されるまで、鷹爪の北の得意料理を再現しようと台盤所をかぼちゃ塗れにしていたし、裁縫の師を務めていた藍からやたらと男子の着物の縫い方に熱心になったとも聞いた気がする。
 槐が頬を引き攣らせているのにも気がつかないまま、花室は何かやり遂げたような顔でほう、と息を吐く。
「さすがに元服には間に合わなかったけど、地道にやってきて損はなかったわ」
 そうやって誇らしげに胸を張る子どもは気づいていない。炊事に夢中になっていたのは彼の人の為であり、針仕事に力を入れたのも彼の人の晴れ姿の為であり、清掃に心血を注いでいたのはこの室に他の者が入って、件の反物を発見されてしまわない為。子どもにとっては四年をかけて積み上げた作戦の成功であっても、あと半歩下がって冷静に見てみれば四年をかけて磨き上げた花嫁修行そのものであるということに。
 ああ、早足の間者として表情を隠すことに手練れていて良かった、と槐は思う。
 海のような、夜明けの空のような群青に白い絹糸で編まれた蓮の花。こつこつと細い金糸を依りながら、誰にも隠れて針を入れ続けたのであろう金の羽根。
 花室はこんなでは駄目か、と訊ねてきたが、逆にこれ以上のものがこの世のどこにあるというのだろうか。彼の人はこれを着て然るべきだ。これを着ないことこそが罪業だ。
「――藍には私からこっそり言っとくよ」
 ようやく見つけたたった一言で、花室の表情が華やいだ。冬に身を縮めさせていた蕾が、文字通り、花開くように。彼女がまだほんの幼い頃、槐たちがどう心を砕いても引き出してやれなかった笑顔がそこにあった。花室としての役割を誰よりも正しく理解して、誰の言葉からも、誰の心からも目を閉ざしていた人形のような花はもういない。
 花室はさっと狩衣を折り畳むと、前以て用意していたらしき風呂敷に包む。そしてもう一つ、何やら簡易的に生活用具を纏めたらしき風呂敷を抱え上げると、唐突に立ち上がった。
「じゃあ、あたし、海神の御屋敷に行くから後はよろしくね、槐!」
「ちょ、今から!?」
「だってもし、御大将が反物用意しちゃってたり、身の丈が合ってなかったりしたら困るじゃない。善は急げってやつよ」
「はなおばあさまには!?」
「適当に何とか誤魔化しといて!」
 いや、無茶言うな。
 反射的に吐き出しかけた槐が口を噤んでいる間に、障子を開いて庭を駆けた彼女は、軽やかに高い塀を跳び越えて薄闇の向こうへと消えていった。夕刻も過ぎているというのに、宿泊道具を備えた少女一人。慌てて槐は指笛を吹いて同じ早足の姫兵を呼ぶ。
 2人ほどの姫兵が彼女を追ったのに安堵の息を吐き、槐はゆるゆると首を振った。
「……おやまあ。着いたら着いたでこっぴどく叱られるやろなぁ」
「でも、あんなもの見せられたらどれだけ頑固な男だって怒りの一つや二つ吹っ飛びますよ」
 間を空けて室を覗くように現花室の世話役である薊(あざみ)が顔を出した。槐より一回り年上で、厳格な大花院と絵莉奈と共に花室を守り続けていた、大変、肝の据わった女性である。その顔が存外に穏やかであることに槐はほっとした。ころころと笑う表情が穏やかなのは、見逃してくれるということだ。
「良かったんですか?」
「藍と辻褄を合わせたところで、あんなものを縫ってしもうたらばれるに決まっとるやないの」
「ですよね」
 はぁ、と腹一杯の溜め息を零しながらそっと室を後にする。
 天良の花室は恋をしないのだ、と昔、槐に教えてくれた姫兵は誰だっただろう。天女のように愛らしかった花室も大胆に、そして無自覚に小鬼に育ったものだ。あんなものを見せつけられて、恋に堕ちない男子など、本当にただの朴念仁か余程の甲斐性なしくらいだろうに。罪な女子になったものである。
 鬼といえば、と槐は興味本位で薊の顔を見上げて訊いてみた。
「薊さんは何故、“薊”とつけられたか大花院に聞いたことありますか?」
 槐の思う“薊”という植物は、随分と刺々しいものに思える。新芽や根は食卓に並ぶこともあるが、初めて見た群生地は針山のようであった。そんな名前は何を意味しているのだろう。
 薊は少しだけ驚いたように目を開き、すぐに意味深げに微笑んだ。
「薊の花はな、手折ろうとすると棘に刺されてお痛なんやで?」
 ただの口減らしの拾い子である自分たちにこんな名をつける大花院も、大変な親馬鹿ならぬ祖母馬鹿である。実の孫娘である花室の未だ淡くも明確すぎる恋はどうなるのだろうか。
 ――まあ、私はお嬢が幸せそうなら何だっていいや。
 せっかく開いた花なのだ。大花院は一層、憂うかもしれないが、あの笑顔がそう簡単に枯れてしまわないことを切に願う。
 なんて、散々、惚気を喰わされておいて、そう思う槐も相当な世話人馬鹿だろうか。
 でも、きっとそれで良いのだ。何故なら槐は昔の人でも、特別偉い人でもないのだから。
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