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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。 汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。 証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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年貢は硝子の棺のその中に(中編)

まだこんなに近くにいるのに、どうして触れられもしないのだろうね。

※Side-Sが長くなったので分割。もうちょっと続きます。沙羅組の弔問、私の視点で書いてしまったので何かありましたらよろしくお願いします^^



Side-S

『平素よりお世話になっておりました。
 この度は、父・カシス=ベルサウス=グリュンスタッド、母・ルナ=D=ベルサウスの訃報を報告したく、便りを出させて頂いた次第にございます。
 娘の私も与り知らぬことでしたが、母は昨年より既に病に罹り、人里を離れたようであります。父はおそらくその後を追ったつもりなのでしょう。
 生前、葬儀の希望など遺さずに逝ってしまったようなので、ひと月ほど後に亡骸を納めた棺を土葬することに致しました。弔問や焼香などは不要と思われますが、ご希望される方はひと月内に先立って母がお送りした住まいまでお越しくださいますようお願いいたします。

 追伸:皆様方に置きましては、棺に納めてやりたい品も御座いましょうが、どうか其方で処分して頂くようお願いいたします。おそらくは納めることを諦める他ないと思われますので。

 アルテミス=B=グリュンスタッド』

 それが、アルテミスが思いつく限りの知人にばら撒いた訃報文書だった。母方の伯母夫婦に頼ることもなく、父方の面倒を見てくれていたナレヤの父親に相談するでもなく、アルテミスはそれだけを書きつけると全世界へ向けて両親の死を発布した。
 身勝手だと思われるだろう。
 何がどうなっているのか混乱を招く文書だったろう。
 それでも、それがアルテミスの限界だった。彼女にしたって、こんな事態は理不尽でどうしようもなく、予想の範疇を越えていたのだから。訃報を送っただけでも、シリウスから見れば彼女は気丈で冷静だったと思う。
 彼女の父親は、こんなどうしようもない、文字通りの二人だけの城を造り上げ、そっと彼女にだけ自らの死を匂わせてこの世を去ってしまった。彼女が、アルテミスが気づかなければ、この棺は幾年放って置かれることになったのだろう。それを思えば、シリウスはあのとき彼女が何も勘付かずに鈍感であったなら、とさえ考える。
 一見して身勝手に思える文書だが、アルテミスにはそう書き記すことしか出来なかったのだ。目にした人間がどれだけのやるせなさを抱いて、そのぶつけようのない感情の矛先が他でもない、自分になるのだろうことを知りながら。だって本来、その文句を吐き出す先であるはずの人は、人たちは、もうこの世にはいないのだから。
 二人を閉ざした巨大な棺には、継ぎ目というものがなかった。まるで蓋を閉じた傍から接合面が融解し、そのまま硬化したかのように永遠に閉ざされていた。炎も、雷も、風も、水も、どんな衝撃を与えようと棺にはひび一つ入れることは出来ず、刃物で削ろうとすれば刃物の方が欠ける始末。開けることはおろか、焼くことも出来なかった。硫酸や王水をぶっかけたりもしたけれど、どんな劇薬も天才魔道師が最期に創り上げた芸術品を傷付けることは出来なかった。
 
 そして何日経っても棺の中の月下美人は瑞々しいまま枯れず、二人の亡骸は腐りもくすみもしなかった。
  このままどこかの博物館に寄贈してしまったとしても、二人は彼女を咎めたり、呪ったりすることはないのだろう。けれど、アルテミスはこれでもしっかりと人間で女の子だ。少なくとも、こんな両親の有り様に日々、憔悴していってしまう程度には。
 だから、アルテミスはこのありえないはずの永遠を閉じ込めた棺を地中深くに埋めてしまうか、海の底に沈めてしまうかの二択しか選べなかった。そして周囲を山脈に囲まれたここからは海はあまりにも遠すぎる。そうして彼女はひと月の猶予の間、狂いそうになる気を誤魔化すように無心に穴を掘り続けることになった。手ずから、両親の墓となる穴を。


 いの一番にアパルトメントの墓場を訪れたのは、彼女の妹のダイアナだった。あの両親と姉からは想像がつかない程に普通の女の子であった彼女は、両親の納まる棺を目にした途端に泣き崩れた。
 何で、どうして、何の為に。そんな当たり前の言葉を口にして、棺に縋りつき、その頃にはもう、静かに椅子に掛けることしか出来なくなっていたアルテミスの膝に顔を伏せて泣き続けた。
 どうして、何で、お姉ちゃん、ねぇ、なんで。
 ダイアナの支離滅裂な慟哭を、アルテミスは姉として黙って聞き続けていた。母譲りの栗色の猫っ毛を撫でながら。その姉妹の合間に入るような無粋な真似を、シリウスはしなかった。けれど、願うことなら、それ以上、追い詰めないでやって欲しい。止めようのないことだったのは誰もが同じなのに、きっと優秀過ぎる天才な彼女はその「どうして」の中に、どうして自分が気づいてやれなかったのだろうと自責を拾い上げてしまうのだから。たとえ、ダイアナにそんなつもりが欠片もないとしても。
「ねぇ、お姉ちゃん。私たち、そんなに要らない子だったのかな。二人にとって、私たちは邪魔だったのかなぁ……?」
 嗚咽混じりに吐き出した妹の問いに、アルテミスは「私たちは間違いなくあの人たちの娘だった。だからあなたは胸を張って幸せになっていい」と姉らしく、そっとそうと気づかれないようアパルトメントから追い返した。
 ひと月もここにいたのなら、気付いてしまう。その彼女の答えは、回答しているようでいて、実際は主旨を挿げ替えた誤魔化しに過ぎないことに。
 姉妹は愛されていたのだろう。邪魔に思われてなどいなかったはずだ。けれど、彼女の父の最期の行動を見る限り、死に際に声やぬくもりを求めてやまないほど必要だったかと言えば、違ったのだ。だからアルテミスは誤魔化した。騙した。たぶん、一生、彼女が本当のことを妹に語る日は訪れない。


 次の来訪は、幾分、穏やかだった。
 彼女の父を、まるできかん坊の弟のように見ていた超能力者と、生前の雇い主。彼らはそれぞれの伴侶を連れて現れた。生前、長らく夫婦として暮らしていたイドラの民から託されて来たのだろう。その手にはアルテミスが産まれてからようやく式らしい式を挙げたときの花嫁のヴェールがあった。
 だが、アルテミスが追伸に付け加えた注釈の意味を知り、彼の元・皇帝の后であった女性は茫然と膝をついた。
「ベルサウス博士。これがあなたの人の愛し方ですか……?」
 そのまま彼女はヴェールを握りしめ、長い間、哀悼の祈りを捧げ続けた。理解は出来ないだろう。出来なくて良いのだ。それでも、彼女はシリウスたちよりもずっと大人で、激動を生きる雷帝を支え続けてきた伴侶らしく、彼らの安らかな寝顔に確かな絆を見たのだろう。涙は一滴だけ。祈りはどうか来世でもこの恋が実りますように。
 事有る毎に彼女の父の兄貴分を語っていた男は、泣き笑いのような表情で棺に手をつくと、「Cashew」とやや発音の可笑しい名前を呟いた。それから首を横に振り、改めて「Casiss」と正しく名前を呼び直すと、声を詰まらせて呟いた。
「本当に、何で、お前たちは俺より先に勝手にいなくなっちまうんだろうな」
 今度、孫が生まれるんだよ。孫が病気に罹ってしまったら、俺は一体、誰を頼ればいいんだよ。そう言って涙を我慢する男の手を、伴侶の女性はしっかりと握ったまま離さなかった。
 もう要らないだろ。いいトシ扱いて、何、いつまでも女に寄りかかってんだ。さっさとジジィになりやがれ。
 最期まで口汚く、態度は悪く、いつまでも子供のような野次り方をする人だった。聞こえないはずのそんな悪態がするりと唇から飛び出して来そうだった。
 妻が哀悼をささげている間、男が涙を堪えている間、雷帝と称された男はただ黙って硝子の棺を見つめ続けていた。40を迎えるはずの男は、相変わらずに出鱈目な貫禄とカリスマを備えながら、少年と指されても不思議ではないような、一切の俗世から切り離されたような存在感を以てそこにいた。
 彼らは一体、どんな関係だったのだろう。零音やナレヤから伝え聞くそれは、歴史を覆さんばかりの大舞台を共にした主従にも聞こえたし、冗談と子供染みた悪戯を繰り返す友人のようにも聞こえたし、または年齢は逆さのはずなのに困った子供を躾ける親と子のようにも聞こえた。
「変な気持ちだな」
 静かに棺を眺めていた雷帝は、不意にそう口火を切った。
「昔は皆で想像したものだったんだよ。今よりも戦争に塗れた時代だったから、人の死なんて本当にそこら中に転がっていたんだ。だから、僕らはよくどこでどんな死に方をするんだろう、なんてことを語り合った」
 それはシリウスも知らない、各国がまだ幼すぎた、力がすべてを支配していた時代の話。つい昨日の話ではないが、遠すぎるほど過去の話ではない話。
「中でも僕の悲観主義は凄まじくてね。でも、誰も“縁起でもない”とか、“そんなことを口にするものじゃない”とか叱ってくれる人はいなかった。まあ、つまるところ、傍目にも僕はそれだけ不幸を撒き散らした存在だったんだろう。でも彼は違ったよ」
 退位した後でも変わらず、彼は黒衣を身に纏っていた。以前はその激動の時代に手をかけた人々への喪服の意味だったらしい。けれど今は単純に、いろいろと着替えてみた結果、やはり黒が映えるから。それだけの理由らしい。その黒衣の袖から手を伸ばして、棺に触れようとして、寸前で彼は手を下ろした。
「色々と彼なりに思うことがたくさんあったんだろうね。彼は執拗に生きることに固執したし、その理想を他人にも押し付けた。他でもない僕にもね。いや、一番、その理想を押し付けた相手は僕だったんだろう」
 でも、その彼が自ら死んでもいい、と思ったということは、きっとそれだけ幸福だったんだろうね。
 染み入るような優しい声音で呟いて、彼はリコリスのドレスを纏った彼女の寝顔に「ありがとう」と言った。そして祈り続ける伴侶を抱き締め、ヴェールは何故かシリウスの胸元に押し付けて、去って行った。


 半月ほど経った頃に、零音――レイン=R=T=エイロネイアとなった彼女が姿を現したときは、正直意外だった。シリウスの予想からすれば、彼女は速攻でこの地を訪れるか、そうでなければ来ることはないと思っていたのだ。
 素直にその感想を口にすると、彼女は嫌そうな溜め息をひとつ吐いた。
「別に焼香や弔問に来たわけじゃあないわ。あの人たちのことだもの。きっと幸せが過ぎて死んだだけなのでしょう」
 出会い頭に三つの頃から変わらない零音節を披露してくれた彼女に苦笑した。弔問でもなければ、一体、何だと思えば、アルテミスの身を案じて訪ねて来たらしい。一時期、パートナーを組んでいた彼女たちには、淡泊に見えてきちんと友情が育まれていたようだ。「あなたはヘタレだし」と付け加えられた余計なひと言は、聞かなかったことにする。
 棺を前にしたときは、さすがの彼女も唖然としていた。しかし、目の下に隈を拵えたアルテミスに耳打ちされて、愛用の巨剣に最大級の神呪を唱えて棺をぶった切ろうとしたときは、さすがのシリウスも肝を冷やさざるを得なかった。
 だがしかし、かつてエイロネイアの神樹ユグドラシルを真っ二つに斬り裂いた渾身の一撃さえ、二人の牙城に傷をつけることは敵わなかった。
「本当、出鱈目な強度ね。反吐が出るほど頑丈だわ」
 呆れた涼やかな声で言い放つと、彼女は本当に線香の一本もあげることなく、帰っていった。それでも差し入れとしてアルテミスが好んで食べる果物を大量に残していってくれたことは、彼女の好意として受け取るべきなのだろう。
「あんな勝手な人なのだから、物足りないと思ったときは勝手に生まれ変わってくるでしょう」
 短い滞在中、彼女はある意味、暴言にも聞こえる言葉の数々を吐き散らした。それが彼女なりのアルテミスに向けた励ましなのだと気づいたのは随分、後のことだった。アルテミスが妹の心を守ろうと「幸せになっていい」と口にしたように、零音もまたアルテミスにそう告げたかったのだろう。
 そのメッセージを受け取ったからなのか、どうなのか。食べては吐いて戻してしまっていたアルテミスが、彼女の来訪を境にスープと切り分けた果物だけは胃に入れてくれるようになった。少しだけ、自分の情けなさを呪いたくなったが、素直にほっとした。そういえば、シリウス自身も半月ぶりに笑みを零した気がする。
 本当に、解り難く有難く、情け深く、男前が過ぎる友人だ。


「……嘘って言えよ」
 沙羅から使者が出されたのは、アルテミスが指定したひと月を半ば過ぎた頃だった。遠方故に便りが遅れたことと、使者の選定に時間がかかったのだろう。多くの時間を過ごした故郷の混乱具合がシリウスには良く想像できる。
 そうして遥々、足を延ばしてくれたのは、生前の伯母と馴染みの深かった津鬼の大殿、そして小さな頃から伯母を知っており、シリウス自身も世話になった雅の奥方だった。雅の奥方の付き添いとして訪れた泣き黒子が印象的な男性は、シリウスの知らない顔だったが、伯母がまだ雅野の花街をパルクールで駆け回っていた頃(初めて聞いたときは何をやってたんだあの人、という感想しか出て来なかったのだが)から伯母に目をかけてくれていた人らしかった。
 真っ先に棺に手を伸ばした津鬼の当主――蒼牙が、愕然とした後に呟いた一言がそれだった。俯いていた所為で垂れた前髪が顔を隠していて表情までは窺えなかった。
「蒼牙にいさ、」
「嘘って言えよ! これまでだっていっつもそうだったろ!」
「蒼牙くん」
 八尋と名乗った泣き黒子の男性が、そっと控えめに蒼牙の肩を抑えた。
 彼女らを隔てる透明な壁に幾ら爪を立てようと、その欠片さえ零れ落ちて来ないことをシリウスとアルテミスは既に知っていた。
「いっつも嘘ばっかりだった。そんな気なんてさらさらないくせに、ちっさいガキの俺が困らせたって、我儘言ったって、いっつも嘘ばっかりついて、誤魔化して、騙して、冗談だって笑い飛ばして、からかってばっかりで、いっつもそうだったじゃんか。早く、嘘だって言えよ。冗談だって、いつもみたいに笑ってみろよ!」
「蒼牙兄さん……」
 たぶん、ここに澪や蒼太、桜斎院……つまりは蒼牙が両手で守りたいと思っている人が。意地を張ってでも弱気な姿を見られたくない人がいたとしたら、彼はここまで感情を吐露することはなかったのではないかと思う。
 シリウス自身は、実はあまり伯母と蒼牙の関係性をよく知らない。シリウスが小さな頃は蒼牙もまだそれなりに若く、問おうとすると何だか不機嫌な、拗ねたような顔で黙り込むことが多かったので、それ以上を無理に聞き出そうとはしなかった。伯母は伯母で、その反応を非常に面白がり、「あのね、実はね」と勿体つけた挙句に、声を荒げた蒼牙に「はいはい」と笑って誤魔化してばかりだった。
「義兄上に頼まれたんだよ。あんたの荷物、一緒に入れてやってくれって、そう言われたのに。知ってるだろ、昔からおつかいはきちんとやらないとあの人怖いんだよ。あんたが、一番、よく知ってるだろ……」
 蛍袋の花が咲く紬が、開かない、継ぎ目のない棺に掛けられて広がる。シリウスが赤ん坊の頃から、伯母は既に沙羅服を身に着けることは滅多になくなっていた。ただ、年に一度だけ、夏の風鈴祭が都で開かれる頃に故郷を訪れた際は珍しいその紬を纏った伯母の姿が見られた。
 真夏のことなので「暑い、暑い」と子供のように文句を垂れる伯母に、せめて浴衣にしてはどうか、と問いかけると「大人になると面子とか義理とかいろいろあるもんなのよ」とやっぱり誤魔化された。そうやって、いつも笑顔で何かを誤魔化して生きる人だった。
「……そうね。るぅちゃんはいつも誤魔化してばっかり」
「萌さん……?」
 たおやかな手つきで棺を撫でたのは、物心ついた頃から何かと世話を焼いてくれた幼馴染の母だった。伯母と蒼牙の関係もよく知らないままだったシリウスだが、この人と伯母の関係を知る人はもっと少ないのではないか、と思う。
 普段は皆と同じように「瑠那さん」「萌」と極普通に呼び合っていたのに、ふと唐突に思いつきで、伯母たちは互いを「るぅちゃん」「きぃちゃん」という誰も知らないあだ名で呼んだ。旧知の親友であるはずの海神の北様や、鷹の華室(はなむろ)に訊ねてみても、伯母が雅の奥方をそう呼ぶ理由は知らないと言った。少し拗ねたような顔の彼女たちに対して、そう呼び合う伯母たちは些細な秘密を隠し合う少女たちのように楽しげだった。
「ひどいことされても、誰かのことを助けても、るぅちゃんはすっとぼけて誤魔化してばっかり。ありがとうって想っても、ごめんなさいって謝っても、何だかんだ理由をつけて言葉ひとつ受け取ってくれなかった。そんなだから……」
「萌ちゃん」
「るぅちゃんが、そんなだから……あたし、ちゃんとごめんね、も、ありがとう、も受け取って貰えなかったじゃない……」
 るぅちゃんの馬鹿、と小さく呟いて、それでも子供である自分や年下の蒼牙の前では涙など見せたくないのだろう。代わりに薄紅をひいた唇をきつく噛んで、何度も棺をなぞった。
「るぅちゃん、あたしね。るぅちゃんの旦那様はとってもお似合いだと思っていたわよ。るぅちゃんは意地っ張りだったけど、昔から玉の輿が夢って言っていたし、ちゃんと娘さんやあなたを養う甲斐性だってあったし、これはあなたも認めていたけれど何より美形だったもの。でもね」
 萌の視線が、初めてリコリスのドレスを纏った伯母から、その隣で眠る伯父へと移った。色んなものが入り混じった、ごちゃ混ぜの視線で軽く睨むと、
「今ね。ほんのちょっとだけ、華音ちゃんの気持ちもわかった気がする」
 こんな近くにいるのに、あたしは最期にるぅちゃんの御髪を整えてあげることも出来ないのね。
 世話になった幼馴染の母の一言は、実に切なくシリウスの胸を叩いた。それきり無言で黙祷する萌に寄り沿うようにして腰を下ろした泣き黒子の男性は、この場に来られなかった伯母の知人たちの想いを代弁するかのように眠る彼女へ声をかけた。
「兄はん、姉はん不孝な子ぉやね、ほんま……。瑠那ちゃんに勉強見てもろてた子らな、すっかり大人になってはるんよ。もう天神や太夫、引退した子ぉも、瑠那ちゃんのおかげで食い扶ちに困らんゆうてたわ。常盤太夫も女将はんも瑠那ちゃんのこと、よぉ褒めとったねぇ。働きもんのええ子や、って。……みんなに報せてもうたら、みんな悲しむんやろなぁ」
 女性に聞き違う柔らかな声音を降らせると、男性は彼女の瞼の上に手を添えるように棺に触れた。
「……働き過ぎの、がんばり過ぎだよ。ゆっくりおやすみ」

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