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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。 汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。 証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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孤独な生きもの-2

※3歳の頃から魔女だったなんて嘘。
きっと、本物が産まれたのはあの場所、あの日、あのとき。

※本章には軽度のR-15程度の強姦描写が含まれます。苦手な方は閲覧にお気をつけください。


 
 朝靄も明けきらないうちに、最初の朝鳥の声に導かれて、瑠那は藁の中から這い出した。上物の着物は汚れ放題で、緩みかけた帯の隙間からぽろぽろと藁の欠片が落ちる。鏡が無いから頭がどうなっているのかは解らなかったが、一応には整えられていた櫛は崩れかけているだろう。
 縁側で日向ぼっこをしている格好のままで飛び出して来てしまったから、早朝の寒さはぴりぴりと瑠那の身体を痛めつけた。それでも厩の中から這い出したのは、半分、衝動のようなものだった。
 これからどうしようか。
 後には戻れない。なら、前に進むしかないのだが、生憎、瑠那の手の中には地図も方位磁石もなかった。幽閉されるように屋敷に軟禁されていた瑠那の懐には、勿論、一銭たりとも入っていない。物知らずなりに、生きていく為のあらゆるものには金がかかることは知っていた。けれど、その糧をほとんどみなしご同然の彼女がどうやって手に入れたらいいのか、分からなかった。
 母に首へ手をかけられたときの恐怖が、今度はじわじわと背中から這い上がってくる。それは衝動的ではない、ひどく緩慢な、緩やかな死の恐怖。このまま行き場所もなく、誰に見つけられるわけでもなく、死んでしまうのだろうか。
 ――でも、きっとおじいさまやおとうさまは……おかあさまは、それをのぞんでる。
 何となく解ってしまった。瑠那の中に、ほんの僅かばかり残っていた希望という名前の灯が、ひとつ、ぽっと消えてしまう音がした。
 肉親だから。痛みを伴って産んでくれたのだから、今はつらくても、いつか。そんな風に縋る想いで抑えつけていた庇護の願いが消えていく。もう諦めたと思っていた欲が、まだ自分の中にあったのだ、と自覚した。
 帰ってみようか。一晩経って、母もまた落ち着きを取り戻しているかもしれない。正気に戻っていてくれるかもしれない。再び淡い希望を抱いた、そのときだ。
「瑠那お嬢さん」
 間近で囁かれた自分の名前に、びくりと肩を震わせる。いつのまにか、傍らに知らない顔の男が1人、佇んでいた。黒い薄布で顔を隠し、同じ色の黒い襦袢で身を包んだ中肉中背の男。けれどもその胸に掲げられた見慣れた家紋が、瑠那の目を釘付けにした。
 三つ葉折のの竜胆。
 その生家が掲げる家紋が、瑠那の警戒を和らげにもしたし、逆に強めもした。瑠那は家紋の紋様を注視しながら、男の出方を待った。男はかろうじて見える口元に、柔らかげな笑みを浮かべて、瑠那の前に1つの箱を差し出した。
「……?」
「奥様からのお届けものです。このような場所に居られると思わなかったので、お届けが遅くなってしまいました。申し訳御座いません」
 同じ家紋が印字された真っ白い箱を瑠那の両手に乗せると、それでは、とそそくさと立ち去っていった。
 考えてみればその男の動向自体が不自然だったのだ。無垢なままだった瑠那の意識は、しかし、完全に握らされた箱の方に集中していて、何にも気が付けなかった。
 言ってしまえば、期待していたのだ。その箱の中に、母からの許しが、帰っておいでの一言が、何かしがの形で詰まっているのではないかと。くだらない幻想を抱いて、縋るような想いで、大切に箱を抱いたのだ。
 箱はただの紙製で、鍵など何もかかっていなかった。瑠那は恐れ半分、期待半分で、そろそろと箱を開いた。
「?」
 最初、それには何が入っているのか分からなかった。やたら軽いと思っていたら、たっぷりと薄布が詰められていて、その向こうに透けて何かが見えている。その正体が分からなくて、瑠那は薄布を引っ張り上げて、
「ひ……ッ!?」
 悲鳴にならない引き攣った声を上げて、箱を投げ出した。ひっくり返った箱の中から薄布がはみ出して、それに包まれていた“もの”がころころと路傍へ転がり出る。黒い塊だった。黒くて丸い、小さな塊で、耳が、あった。耳があって、目があって、でもその目はどこも見つめられないように白く濁り切ってしまっていて。だらしなく開いた口からは、最期の抵抗をした証なのか、鋭くなりかけた八重歯が覗いていて、けれど舌は切り落とされて凝固した血液が固まっているだけで。その首から下は、何も、なくて。
「あ……あ、あ……」
 それが何かを認識するのに、ひどく永い時間がかかってしまった。
「……瑠、璃……?」
 問いかけても柔らかな毛に包まれた塊からは、鳴き声の一つさえ聞こえて来なくて。
 呆然と、座り込むことしか出来なかった。
 何が起きたのか、分からなかった。
 母が、何をしたのか、分からなかった。
 明けきっていない朝靄の中で、がたがたと震えることしか出来なかった。
 そこを、きっと狙われた。
 
 がたんっ!
 
 完全に硬直した身体が、反転した。視界がぐるり、と回る。打ち付けられた背中が痛い。誰も居ない厩の中に投げ込まれたのだと気が付いたのは、崩れてきた藁の酸い匂いに咽てからだった。
 そして頭が回り始める頃には動けなくなっていた。気が付いたら冷たく気持ちの悪いぬるりとした感覚が、瑠那の華奢な腕と足首を抑えつけていて、重いと思った胸の上には誰かも分からない誰かが馬乗りになっていた。目は開いていたが、逆光で顔は見えない。影の形で、たぶん男だ、と気が付いたくらい。
 声を上げる前に、口の中に何かをねじ込まれて息が詰まった。排除しようと何度も噛んだけれど、吐き出されないそれは何かの布のようだった。
 重い、苦しい、痛い、気持ち悪い、こわい。
 身体の芯からぞわぞわと駆け上がってくる感情を吐き出せないうちに、耳だけが音を、声を拾い上げる。
「何だ、まだガキじゃねぇか。しかも小せぇの」
「ガキだから高く売れんだろ。このガキ、いい着物身に着けてんじゃねぇか。ついでだからこれも貰っちまおうぜ」
「身ぐるみ剥いだ挙句、売り飛ばすのかよ。悪いねぇ」
 今の瑠那であれば、何て陳腐な悪巧みだとせせら笑っただろう。三下は黙ってブタ箱にぶち込まれればいいのだ。けれど、6歳の何も知らない子供は、その言葉の端々に漂う悪意にも言葉の暴力的な意味にも気が付けなかった。
 かたかたと震えることしか出来ない少女に、男たちは下卑た笑いと猫なで声で言う。
「可哀想な仔猫ちゃん。運良く優しいご主人様に当たればいいなぁ?」
 言われた意味はわからなかった。だが、そこに言葉本来の優しさなど欠片も含まれていないことだけは理解出来た。恐怖に竦む身体の下肢――足の合間に、ぐっと何かか差し込まれた。馬乗りになった男の膝だと気が付いたのは、子供ながら人間の本能だったのか、と思う。
「せめて処女膜はお兄さんたちがなるたけ優しく破ってやるよ」
 処女は昨今、高く売れねぇしな。続けられた誰かの言葉に笑いが起こる。だが、何が面白いのかわからない。この状況がわからない。解ることは一つだけ。自分が何らかの、何だかとてつもなく危険な状況に陥っている。そのことだけだった。
 震えていた身体を無理矢理に動かして、抵抗を示してみせると、腕と足にかかる拘束が強まった。
「あんまり抵抗するなよ。かえって痛いだけだぞ、お嬢ちゃん」
 ぐっ、とお腹の部分に圧力がかかり、しゅるりと何かが引き抜かれた音がした。それが帯留めの紐だったことは、遠くに投げ出された金の糸が視界に入ることで把握出来た。男の手が緩んだ帯を引き千切らんばかりの力で無理矢理に解こうとする。同時に違う手が違う場所から伸びて来て、衣の袂をぐいぐいと引き上げられる。見えない下の方では、足首を抑えつけていた何か――誰かの手――が遠慮も何もなく、自分でも滅多に触れたことのない内股をなぞっていた。
 全身に冷えた汗と鳥肌が立つ。まずい。まずいまずいまずい。そんなことは解り切っているのに、身体が動かない。ちっぽけな子供の身体は、成人の男の力の前であまりにも無力だった。
「くそっ、面倒臭ぇ結び方だな!」
 着物の袂を引っ張っていた手が、気持ちの悪い汗を胸元に擦り付け始めた頃。びりっ、と不穏な音がして帯が外れた。勢いをつけて外されたそれは、厩の土臭い地面に乱雑に投げ出された。
 その勢いに負けて、からからと中から飛び出したものがあった。
「――!」
 それは幸運なことに、空回りしながら瑠那の手元に転がって来た。やっと暴かれた瑠那の幼い肢体に夢中になった男たちは、その存在に気が付いていなかった。
 首元を、胸を、腹を、足を、舐め回すように這いずる感触を頭の隅に投げやりながら、瑠那は手元に当たる硬い感触を掴む。
 それは護身用にと帯の中に潜ませていた小刀だった。良家の令嬢ならば、必ずと言っていいほど持ち歩いているはず。だが、使われる機会は本来少ないはずのそれ。
 護身。ごしん。まもる。からだ。からだをまもるもの。
 胸を噛まれた、ちりっ、とした痛みが、皮肉にも瑠那の恐怖に固まっていた意識を覚醒させる。その意味を理解する。りかいする。ぷつり、と頭の中で何かが千切れる音がした。それはきっと、瑠那の中に存在していたもっとも純真で綺麗だったものがばらばらに砕け散る音だった。
「ぎゃあ!」
 愚かにも行為に夢中になって、腕の拘束を緩めていた男の悲鳴が上がった。突然のことに驚いて、他の男たちも顔を上げる。逆光で表情は見えなかったが、3人だったようだ。腕を拘束していた男は、斬りつけられた手首からだらだらと赤黒い血を流しながら、転げ回っている。その瞬間に冷静でいたのは、先程まで恐怖に打ちのめされていた瑠那1人だった。
「うわっ!」
「ぎゃっ!!」
 固まった男たちの前で小刀を一閃させる。朝靄の中で鈍く光るそれは、それだけで男たちを威嚇出来た。振り上げた一閃は、どちらかの男のどこかを抉ったらしく、柄を伝って新しい血液が瑠那の手を濡らした。乱れた前髪越しに、男たちを睨みつけると彼等は慄いたように彼女の身体の上から飛び退いた。
 今だ。今しかない。
 人間の持つ潜在的な防衛本能に感謝する。男たちの隙間に空いた、ちょうど子供1人がすり抜けられそうな間。唐突に過度な抵抗を示した幼子に混乱している敵。この瞬間以外に、好機なんてない。
 一瞬で理解した瑠那は小刀を振り上げたまま、その隙間に向かって走り抜けた。追い縋るように伸ばされた男の手を斬りつけると、また悲鳴が上がった。生まれて初めての、明確な、肉を斬る感触。生温い血の温度と生臭い匂い。それでも足は止めなかった。止めたら最後、今度こそ、と頭のどこかが叫んでいる。
 男たちの悲鳴と罵倒を背に聞きながら、履いていた草履も投げ出して、何度目かの逃亡をした。
 
 
 我に返ったのは、追いかける男たちの気配が無くなって、逃げ込んだ路地で今更のように押し寄せた吐き気に任せてひとしきり嘔吐した後だった。嘔吐と言ったって、昨日の昼間から何も口にしていなかった胃は空っぽで、ひたすら酸っぱい胃液を吐き出しただけだ。吐いている間、無意識のうちに身体中を掻き毟っていたらしい。気が付いたら、帯の留められていない全身がみみず腫れだらけになっていた。頭では忘れようとしていても、身体は先程、いいように触られた男たちの手の感触を覚えていたようだった。
 重たい身体を引き摺って、路傍の壁に寄りかかって細い息を吐き出す。諦観だけが、絶望感だけが、彼女の身体を包んでいた。
 いつのまにか、朝靄はすっかり引いていて、路地の向こうの朝日が差す大通りに人の影が通り始める。賑やかしく始まる市井の風景。その人並みの中に、仲良く手を繋ぐ親子の姿を見てぼんやりと目で追った。
「母上、母上、今日はどこに参られるのですかっ?」
「あらあら、本当に父上に似てせっかちねぇ。良い子にお行儀よくしているのですよ」
「1人で勝手にどこかに行ったりするんじゃないぞ。危ないから、父と母の手を離しては駄目だよ」
 うん、と子供が無邪気に頷いて、3人の姿は通りの向こう側へと消えていった。口元が歪んでいくのが解る。ゆっくりと。笑みの形に。
「……ははっ」
 本当に絶望したときは、涙さえ流れないのだ、と瑠那は初めて知った。
 手の中にはまだぬるりとした体液の残る刀が握られている。気持ちが悪くて、他人を斬りつけたそれが恐ろしくて、一度は手離そうとした。けれど、瑠那はもう一度、その刃を力強く握り締める。
「あははははっ」
 そんなに殺したいのか。
 そんなに私の死が嬉しいのか。
 なら、生きてやろうじゃないか。生きのびて、生きのびて、どこか世界の片隅でひっそりと終わる。その瞬間に高笑ってやる。私はお前らの手には絶対に殺されない、殺されなかった、私は私の人生を生き抜いた。お前らの思い通りになんかなるものか。
 その為に、これは必要なものだ。使い方さえ覚えれば、もっと強い身を守るものになるだろう。だから手離してはいけない。
 千切れて走るのに邪魔だった帯で、刃を拭う。次に刃を当てたのは、長く伸ばされ、毎朝香油を塗られていた美しい髪だった。
 ざくり。
 一刃入れると、ころん、と金色の簪が転がり落ちた。それを見て思ったことは、ああ、これもきっとお金になる。失くしてはいけないな、と、それだけだった。
 ざくり。
 ぱらぱらと舞い落ちる栗色の髪の毛を見下ろしながら、笑みを深くする。だんだんと高くなっていく自分の声を聴きながら、壊れた、と思った。けれど今になってもどこがかは分からなかった。たぶん、心の中のとても大切などこかが。きっと。
 ざくり。
 逃げるのに丁度良いくらい、頭が軽くなると、瑠那は満足した。帯と髪とを掻き集めて、どこに捨てようと思って、男たちの言葉を思い出す。
 ――これも、お金になるのか。
 どうせ捨てるのなら、その方がいい。これからは1人で生きていかなければいけないのだから。誰にも縋らず。誰にも心を許さずに。もう二度と裏切られない為に。これ以上、自分が壊されない為に。
 未だに震えていた膝を自分で叩いて、重たい身体を無理矢理に立ち上がらせる。行かなければ。始めなければ。これからの人生を、石に齧りついてでも生きのびる為の、人生を。
 3歳の頃、血と肉の異様が明らかになってから、瑠那につけられたのは“魔女”という蔑称だった。
 だが、それは当たりにして間違いだ。
 本物の魔女は、あの日、あのとき、あの誰も気づかない路地裏で、ひっそりと産声を上げたんだ。


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