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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。 汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。 証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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華歌残照 弐

※現人神が語る二千の昔話。
 

「……待て」
 門柱に寄りかかっていた武鎧蓮は、上機嫌で現れた華音の腕を掴んだ。軽い足取りを止められた彼女は、きょとりと不思議そうに顔を上げる。小首を傾げてこちらを見上げる動作はいつもと変わらない。束ねた金の髪も、空を宿す碧い双眸も、どこといって異常あるわけではない。
 ここにいるのが蓮でなかったなら、気が付かなかったかもしれない。だが、
「――何故、“貴様”がここにいる」
 思っていたよりも低い声が出た。おおよそ婚約者に向けるような言葉ではない。本来なら。
 しかし、彼女は瞬かせていた目を細めて、小さく笑ってみせた。つい最近、ようやくのこと恋心というものを覚えたばかりの少女には思えない、妖艶と嘲笑に近い笑い方。
 その笑い方を、蓮は知っている。自然と眉間に皺が寄った。
「よう気づいたの、鷹の。眼は曇って居らんようで何よりだ」
「……」
 背筋に冷たいものが這いずってくる。嘲りを含んだ彼女の哄笑を聞くのは、何年振りか。確か最後に彼女が蓮の前に現れたのは、華音が15のときだ。度々、華音の影に現れては“彼女”は、それ以来、華音の一部となって消えた――はずだった。
 蓮は改めて彼女の顔を凝視する。澄み切った碧を映す瞳は本物だ。当時、彼女が現れた象徴とも言える冬の海のような黒い陰はない。
 彼の疑問を見透かしたように、“彼女”は肩を竦めてみせた。
「貴様の目にどう見えているか知らんが、我は既に彼奴の深層の一部として変幻しておる。少々、人の目に映る姿は変わっているかもしれんな」
 なるほど、それは“彼女”が本当に華音の一部として溶けている証なのだろう。
 だがならば、尚更解らない。どうして、今、この時機に“彼女”がここにいる。
「そう嫌そうな顔をするな」
 やたらと人間臭い動作で、“彼女”は唇に手を当てた。天良の質実剛健な門戸を見上げ、細く、長く息を吐く。その溜め息が、大分、複雑な色をしていたような気がして、蓮はますます眉をひそめた。
 “彼女”はこんな殊勝な態度を取るような人格をしていただろうか。
 “彼女”は手にしていた風呂敷をこちらに押し付けながら、何かから逃れるように蓮の背中を押した。
「……ちと長い話になる。我はこの屋敷は好かん。場所を変えてくれ、鷹の」


 天良の祖はおよそ二千を遡るという。
 今は絵巻物としてしか描かれない神話の時代。今の人の世に降りて、国ッ神となった現人神の一人に、その祖は存在したらしい。あらゆる禍と咎を請け負い、代わりに生き物に生命の活力を与え、ときに怒りに触れれば他の神や人を刈り取ることもあった。彼女は手に携えた大太刀と、背に負ったぬばたまの黒翼から、武神の姫――黒翼武姫神と名指された。
 修学院の歴史書は、彼女の多くを語らない。ただ数ある八百万の神の一人として、二千の年月を経て、今も人々の中に己の血を残す子宝の神と伝えるのみである。八百万神信仰を基礎とする沙羅においては、ありふれた昔話だ。
 天良の直系の姫たちが、今も尚、彼女の象徴の一つであった金の髪と、碧の双眸を湛えている事実以外は。
 昔、雪路や桜は華音を“天女”と称したことがある。それは半分外れで、半分当たりだ。手の届かない天女ではないが、内面に現人神を宿す女神の直系である。
 絵巻物の中の存在であるその女神が、今の時代も現存することを蓮は知っている。
 人の中に生き永らえた神は、人よりも人らしく振舞うのが得意らしい。ある意味では器の持ち主よりも、年頃の少女らしく見えるかもしれない。
 市井の人々から声がかかれば、直ぐに華音のそれを形作って笑顔を見せる。話す言葉も、器用に真似をしてみせる。唯一、器と違うところは、婚約者を揶揄した冷やかしを、器用に受け流していたことくらいだろう。本人なら、まず間違いなく赤面して固まるのがせいぜいだ。
 ひとしきり都と市井とを往復したところで、“彼女”はようやく満足したらしい。中央から外れた、寂れた石段を上った高台で彼女は満足そうに眼下の街を臨んだ。
「クニへ回帰することにしたよ、鷹の」
 切り出しは唐突だった。人として振る舞うことに慣れてはいても、神は話の脈絡というものを大事にはしないらしい。
「……どういうことだ?」
 樫で作られた高台の柵に腰掛けながら言う“彼女”に問い返す。黄昏の近い陽の明かりが、逆光に金の髪を眩く照らした。
「我がこちらに現れなくなってから、人の世では何年が経ったのだ?」
「……5年だな」
「そうか。存外、短いな」
 5年前――。
 伽羅の軍属との小競り合いがあった。
 黒法師を名乗る軍勢は、意志なく動く、不死の形骸の化け物を沙羅の沿岸へとばら撒いた。軍母となった伽羅の船を指揮していたのは、伽羅軍黒法師指揮長フェン・ウィーイン。華音の、父親である男だった。
 単身で軍母へと特攻した彼女と、追って乗り込んだ蓮とを、沈む船から助け上げたのは“彼女”である。“彼女”は沙羅の海と空へ溢れかえった禍屍の咎をすべて食い尽くし、禍と共に華音の血の中へ深く眠りについたのである。
 それ以来、華音がどれだけ己の力を行使しても、彼女が表に現れることはなかったのである。
 今の、今まで。
「……消えたのではなかったんだな」
「意識の根底から浮上する力を失っただけだ。再び、天良華音の器を借りて意志を示すまで、それだけの時間を使ってしまったな。まあ、些細な事」
 不意に、“彼女”の表情が揺れた。器である華音なら、見られない表情である。どこか遠くを見た、達観したような眼差しを、未だ賑わう沙羅の市へと向ける。
「だが、さすがに老体にあの禍は辛くてな」
「……」
「意思として現存し続けるには些か辛い。八百万の先神がそうしてきたように、我もクニへ回帰しようと思う」
「……クニへの回帰とはどういうことだ?」
「そのままの意味だ。信仰という名の概念となる。古来の神々はそうして人とクニの中へと溶けて、共存してきた。そうすることで“神”となった。我が例外なんだ。ただ一つの血の流れに妄執し、現人に憑く現人神がな。我が現人神と名乗るのは、神と呼ばれる人であって、神ではないからだ」
「……」
「我という概念も、禍を身体へ昇華する力も、天良華音の中へと残る。ただ、我という意思がこうして天良華音を通じて姿を見せられなくなるだけだ」
 人の目と耳の届く場所にはいなくなる、ということだろうか。それは消えるということと、何が違うのか。蓮には計りかねる距離だが、きっと彼女の中ではまったくの別物なのだろう。
 “彼女”の言葉を噛み砕く蓮を見上げると、“彼女”は何故か不服そうに眉を寄せた。
「あまり喜ばんな」
「……何故、喜ばなければいけない?」
「一部の人間を除いて、現人神を妻に迎えたがる男はそういない。目に見えないのならばともかく、こうして見える分には、傍目には人外が憑りついた化け物だからな」
「お前は祖の意思かもしれないが、華音の一部でもあるんだろう。お前を否定することは、華音を否定することだ。俺はそれを己にも他人にも許す気は無い」
「……稀有だよ、鷹の。それを言える男はそうそういない。……いないんだ」
 そう繰り返した“彼女”の声には、一抹の寂寥があった。ほんの少し苦く笑う“彼女”が、何故だか一瞬だけ儚く見えた。
 蒼穹の瞳を深く閉じて、温い風に身を任せる。一つ一つ光を放って靡いた金の糸が、“彼女”の表情を覆い隠した。
「……長い、置き土産に付き合え。鷹の」


 大昔は、人と神の境界が曖昧だった。
 誰もが容易く神に触れ、その言葉を通じ、共存が赦された時代だった。いや、神が神でなかった時代と言うべきか。我らは当たり前のようにそこに存在し、当たり前のように人間に触れ合った。
 そこに溝などなかったよ。
 誰もが当たり前のように我らを目にし、我らを愛してくれた。
 そして、我も愛された。
 我は願った。
 我を愛してくれた一人の男の血脈が、未来永劫に脈々と受け継がれていくことを願った。
 剛毅な男だったよ。そして心清らかな人間だった。男の血が未来の世にまで継がれていくことを望んで、我らは血を混ぜたのだ。
 産まれたのは金の髪と碧い眼を受け継ぐ娘だった。
 美しく育った娘は、他の男と交わり、また同じ娘を産んだ。
 皆、あの男と同じ眼をしていた。
 我は嬉しかったよ。そうして祝福を来世にまで残せることが出来たなら、それで良かったのだ。
 たとえ、我の姿が誰の目に留まることもなくなった時代だとしても。

 そうして時が過ぎた頃。
 我の子孫は神の血を分けた子を産むとして、奉られるようになっていた。産まれる子供は娘が多かったが、それでも殿を孕んだ時は珠のような子が産まれた。我の血は“天女の血”から“天良の姫”と呼ばれるようになっていた。
 睦いだ男の咎を請け負い、力ある御子を産む。
 クニが彼女たちを愛し、彼女たちもクニを愛していた。我は一度、彼女たちの愛するクニへ回帰しようとした。
 だが、その矢先だった。
 我の血を継ぐ姫が、子を為せぬ男と添い遂げようとした。
 クニと彼女の兄弟はそれを恐れた。彼女は我の血の直系を産む役目を果たすはずの娘だった。
 だが、娘は兄弟たちを裏切ってクニを出ようとした。……兄弟たちは男を殺した。そして兄弟たちは、娘に代わりに自分たちの娘を産ませた。
 血は受け継がれた。
 娘は兄弟たちに珠のように育てられた。
 その娘は慟哭の果てに自ら命を絶った。
 ……そうして我は、我を奉る人間たちにとって祝福ではなく、“呪い”となった。

「天良華林は、特に我を恨んだ娘だった」
 憧憬のような眼差しで、黄昏に染まる空を眺めながら、“彼女”は言った。
「天良華林は、最初に父親の縁にある者と契りを結んだ。息子を2人産んだ。だが、若くしてその夫は死んだ。2番目に契りを結んだ相手は、前の夫の兄弟だった。その縁には浅からぬ怨恨があったようだ。契った2番目の夫は、最初の夫の才を疎んでいた。“天良の姫”を以て、目を置かれる子を産みたかったらしい。彼女は2番目の夫との間に子供は儲けなかった。2番目の夫が罪に問われていなくなったとき、天良には次代を継ぐ娘が必要だった。そうして最後に契った相手は、最初の夫との間に出来た1番目の息子だった」
「……」
「やがて一人、娘が産まれた。3番目の夫とは、契りはしても、夫婦の縁は結ばなかった。親子だからな。天良華林は一人娘を連れて、ひっそりと天良の邸へと帰って来た」
「……それが、天良舞か」
「そうだ。3番目の夫である息子とその弟が戦火で死んだのは、それから幾年もしない時だった」
 神に人の情は解せられるのか。そう疑った日もあった。蓮が初めて“彼女”と対面したそのときは、“彼女”は恐ろしく冷たい漆黒の瞳と、怜悧で横柄な言葉の刀を蓮に向けた。小童如きが近づくなかれと、呪いをかけるように、恨み事を吐き出すように、言っていた。
 幼いときに見たその“彼女”よりも、今の“彼女”が小さく、儚く見えるのは、己が数えた歳数の所為だけなのだろうか。
「天良舞は幸せな方さ。少なくとも己が足で愛した男との娘を残せた。……いや、それも我という呪いに対する天良華林の意地だったのかもな。だが、彼女らが引き裂かれたのが良くなかった」
「……」
「彼女はそれから妄執するように、天良華音の“幸せ”を願ったんだ。戦火に触れず、天良華音を愛することが出来る男を探した。その間、天良華音が誰に穢されてもいけなかった。それが彼女の理想だった。だから貴様に恩を売ったんだよ、鷹の。天良華音を、天良の血を望む男から守るには、貴様は恰好の駒だった」
 皮肉った笑みと声色を“彼女”は蓮に放つ。恰好の駒。蓮には武鎧の家が没落したあのときに、拾い上げられた大恩がある。天良華林の口添えと発言力が無ければ、他の武家や皇族府から己が身すら護り切れなかったかもしれない。
 だが、それを恩義に感じこそすれ、恨んだ事は一度もないのだ。たとえ、その裏に隠れた駒の意に気がついていても。
 蓮は静かに、ゆっくりと首を振る。
「……祖母様にとって、俺が駒に過ぎなかったことは、解っていたことだ。そうであっても天良の祖母様に受けた恩義は変わらない。敬意こそあれ、恨み事なぞないざ」
「……」
「つまらない話を聞かせるな。そして何度も言わせるな。貴様は天良の始祖で、華音の一部だろう。なら、俺に貴様を否定する論理はない」
 “彼女”は無言になった。口元に苦笑いを浮かべながら、腰掛けた柵の上から蓮の顔を眺めている。懐かしいものを見るような、仕方のない童を見るような、そんな目だった。“彼女”の目に慈愛を感じるのは、これで2回目だった。
 “彼女”はゆるりと柵を降りる。白い指先が夕陽と同じ色をした髪に、頬に触れた。
「天良華音と契れ。鷹の」
 皮肉の溶けた笑みを浮かべて、“彼女”はそう口にした。
「我はクニへ回帰する。これ以上の禍を請け負えば、言葉を交わせなくなる。その前に問いて置くぞ。禍を請け負う血が貴様の身体と睦げばどうなるか、懸念していただろう」
「……」
 蓮は唇を噛んで、無言を通した。それは華音自身に、そして“彼女”の根底に触れる。肯定も否定も出来ない。
 “彼女”は咎を請け負う神。“彼女”自身が言う通り、交われば、おそらく二度と人の前に降りることはなくなるだろう。
「……案ずるな」
 小さく笑い、“彼女”は蓮の頬から手を離す。また風が“彼女”の金の髪を攫う。最後の時を告げるように、“彼女”は静かに目を閉じた。

「貴様の最後の禍の咎、我が持って行ってやるよ――」

 ふわり、と“彼女”の身体が傾ぐ。逆光に目が眩んだ刹那、目の前に、ぬばたまの黒い翼が瞬いた気がした。
「末長く、幸せに、暮らすのだぞ」

 ――そして願わくば、御身に流れる人の呪いを解いてやってくれ――


「……蓮?」
 固い石畳に打ち付けられるより先に、身体を受け止める。初めて気が付いたように目を瞬かせた彼女は、いつもの天良華音だった。意識を失っていたことだけは解るらしい。辺りを見渡したその表情が、真っ青になる。記憶に久しいが、感覚は覚えていたようだ。
「蓮……あたし、もしかして、ふにゃっ!?」
 皆を口にするよりも前に、見た目より華奢な身体を引き寄せた。華音は青ざめていた顔を一瞬で赤らめて、目を白黒とさせる。
 香が違うのだろうか。嗅ぎ馴れていない、優しい花の香が風に匂った。
「あ、あの、えっと……?」
 溶けている。
 この儚いぬくもりの中に、二千を生きた神人の想いが溶けている。
 血よりも濃く受け継がれた姫の夢。
 たった一つ、クニを護る為の想いを継ぎたいという清浄が、いつのまにか歪んだ儚い昔話。
 この身体が抱くのは呪いではない。たった一つの、現人神の祝福だ。

 義母上様、義母上様。
 二千の旅を終え、貴女が行きつく先が幸福であらんことを。
 大いなる義母上様。
 貴女の抱いたその夢を、呪いを呼ばれたその願いまで、すべてを愛すと誓いましょう。

「……何でもない。もう、大丈夫だ」

 

 ――おかえりなさいませ、義母上様――

 

 

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ぱちょこ内乱につき、

スマホからにーはろー(`・ω・´)! 小春です。

現人神さまの回きましたねー。
ですがまずさきに蓮くんへのツッコミをば。

『門柱に寄りかかっていた武鎧蓮は』

(°∀°)

(婚約者として)初めて迎える夜に待ちきれずに華音をむかえにきていたんですねわかります。今か今かと門前で腕くんで華音センサーフル始動させていた蓮くん微笑まー(´p`)<pgr


蓮くんの純情未来フラグをへしおられた現人神さま、どうぞもっとおやりになry

神話をもじった昔語り、興味深く読ませていただきました。
一度くらい、黒翼様とお話したかったです。



内乱お疲れ様でした^^

ぱちょこ、傷は浅いぞ!(`・ω・´)

解りやすく言うと「あんな可愛い生き物外を一人で歩かせられるか」というのが本音です(`・ω・´)
ツンデレは面倒な生き物です(笑)

黒翼さんだって一度くらいお気に入りとデートしてみたかったんだお、と言い訳を述べてみる。
黒翼さんは選り好みして出て来るというより、華音が能力を使いすぎてオーバーヒートしたときに出やすくなるので、大抵蓮の前で出たりします。

義母上様、おかえりなさいませ(`・ω・´)! 
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