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汝、鷹の爪を継がんとせし人ならば、真に刻んだ志を示せ。 汝、鷹の羽を宿さんとせし人ならば、誠に猛る理想を示せ。 証明せよ。汝、雛鳥に非ず。頂上たる蒼穹を翔べ。
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鷹羽全章:本章【天武蓮】(壮年期~晩年まで)

鷹羽全章…一代にして冷泉帝護廷十臣将『飛鷹』の礎を築いた天武家初代当主・天武蓮(享年86歳、改名以前の名は武鎧蓮)に纏わる逸話を後世にて収めたもの。祖となった武鎧家先代『鷹爪』の失脚という逆境より、一代にして名を挙げた功績から、沙羅では鷹を不死鳥と語ることもある。沙羅の変動の時代を生き残り、新しき名を今に残した武人を讃える書として、今代の武家の子の教書となっている。
 
 エセ教本の中から、本稿。壮年期から晩年まで。ちょっとしんみり。

BGM:茜さす契り/能登麻美子



【壮年期】

 第二次極東大戦の終結と同時に、蓮は年明けを待たずして華姫と正式な本祝言を挙げる。翌年には二人の姫、大姫・零姫、小姫・沙姫が産まれた。華姫は第二次極東大戦後、都へ帰還するなり、夫と共に冷泉帝、入内して間もない藤壺の女御を連れて宇治へ静養に出ているが、この時に既に懐妊していた為に祝言を早めたのではないかと言われている。

 出産時は難産であったが、後に居た子が母を助けるように先の子を押し出すようにして出て来たことから、蓮は昔の慣例を用いて、先に産まれた姫を小姫、後に産まれた姫を大姫とした。

 零姫、沙姫、共に永佳末期から紫鸞期に名を誇る美姫であった。母譲りの金の髪を持つ零姫、父譲りの緋色の髪鮮やかな沙姫。加えて時の実力者と皇家に重用された武将の娘である。縁談・許嫁を求める声は絶えなかった。蓮自身はそれらの申し出を双姫自身に問いて決めさせたというが、七つばかりの頃、初めて零姫の詠んだ句は現在も女性が男性からの交際を断る際に用いられている。

 

「やへめぐら 茂りて絶えぬ いとをかし 蓮花なりて 逢はむとぞ思へ」 零姫

(抜いても抜いても生い茂る雑草のような心持ちには感服するが、(私を娶りたくば)蓮の花(ここでは父の天武蓮のこと)のような功績を挙げてから出直して来い)

 

 零姫自身は沙羅の軍部や女官に属すことがなかった為に、公的資料に残されている記録こそ少ないが、この苛烈なエピソード故に“永佳のかぐや(求婚者に無理難題を突きつける姫の意)”と呼称された。

 

 第二次極東大戦の戦犯を裁くに当って、蓮は軍部から一人、皇から一人、要人を推薦し、裁判処に権力を持たせることを進言した。皇家、軍部、裁判処、三つの役所に権力を置くことで互いの勢力の肥大化を抑制するという図案である。これを受けて皇家からは冷泉帝の実弟である春宮・日継皇子、軍部からは白虎軍大将が選出された。今の世の三権分立思想の基礎である。

 

 永佳十年。華姫は待望となる嫡子を懐妊する。後の飛鷹軍大将天武家二代目当主となる天武璃音(神宮衛士として冷泉帝の大姫・小雪内親王に仕えた後、飛鷹大将となった。神宮を守護したのは海神家分家津鬼家であったが、津鬼家の第一子が大姫であったことから、一時的に神宮衛士として仕えたとされる)である。この時、蓮は大国エイロネイアとの国交正常化の為、両国を行き来していたが、懐妊時にも関わらず、傍らには常に華姫の姿があったという。

 同時期に春宮・日継皇子が外交官としてエイロネイア帝国へと留学していた記録があるが、当時の様子を次のように書き残している。

 

「飛鷹の奥方様が訪ねてくださった。郷里の北(耀花殿のこと。華姫とは昔ながらの友人であったとされる)からの贈り物を届けに来て下さったらしい。それは有難いのだけれど、もう随分と腹が目立つようになったのに大丈夫なのだろうか。問えば目付役と里帰りを兼ねて舞姫(篠田家長男正室。華姫の母とは別人であり、同盟国カルミノの出自と伝えられる)と馨(篠田家長男嫡子)が一緒に来ているらしい。

 ここまで来られるのは結構な長旅だと思うのだが、先に産まれた二人の姫方は良いのだろうか。聞けば二人とも都や山を庭のように飛び回って遊んでいるらしい。遊び相手にも、甘え相手にも不自由はしていないようで、海神家から豆腐を食い尽くして大目玉を喰らったという。わずか二つにしては食欲旺盛なことだと感心していると、二人の姫にはそれぞれ氷結と烈火の才覚があるとのこと。武鎧の家に封じられていた神呪の力が二人に宿った反動なのだろう、と申されていた。此度は男(おのこ)を出産なさるというが、どのような御子なのだろう。話す華姫様はまこと幸せそうで、少しばかり、海の向こうの自身の北が恋しくなってしまった」

 

 華姫にとって二度目となる出産は、無事、安産で産まれた。しかし、産まれた日は雷雨であり、一条の雷が天良一族であった頃の旧い社に落ち、彫り直されていなかった家紋を砕いたとされる。旧当主である天良華林はこれを「神命であったか」と大いに喜んで、速やかに現在の鷹と蓮華の花が刻まれた天武の紋に作り直させたという。

 

 壮年期のほとんどを沙羅の内政安定と国交正常化に注いだ蓮であったが、永佳二十七年。自身の子らがそれぞれ道を定めると、開拓民や屯田兵を集め、一時的に伽羅国へと渡った。焦土から新しき都へと模索する伽羅国にて、自ら倶利伽羅山の上に倶利伽羅院を建立。逢坂湾を望む山の上に建てられた寺院にて、二度に渡る大戦、および千年を超える対立の歴史の犠牲となった士たちを弔うものとした。

 華姫の母・天良舞の墓碑もまた、この寺院に建立され、当時、故人を偲ぶ際に身を清めて山を登る倶利伽羅詣でが流行したという。

 

 

【晩年】

 齢四十五の頃。正室の華姫が流行り病で倒れたのを機に都へと上洛する。静養先として蓮が選んだのが現在の聖蘭邸(旧鷹爪邸)である。焼け跡から簡易な母屋のみを置いていたが、この時を境に蓮は徐々に聖蘭邸を別邸として整えていく。華姫は既に二番隊を小姫の沙姫に継いでいたが、この病を切欠に病床に就くようになる。

 都へ戻った蓮の許には、相次いで死別の報が届けられることとなった。共に沙羅の未来を語った冷泉帝永佳院の崩御、さらに後見人にして義理の祖母であった天良華林が天寿を全うしたのである。前線を退きながらも、残された若年を援助していた蓮だったが、ここでさらに思いも寄らぬ訃報が届けられた。
 一隊であった頃から、幾度となく共に死線を潜って来た鐡登羅光陽、突然の逝去。後宮に差し向けられた刺客より致命傷を負い、そのまま還らぬ人となった。床に伏した光陽は、逝去の間際にただ一つだけ、辞世の句を残している。

 

「ながらへば うしと見し世ぞ しのばれむ あすはかばねの 鷹旗なりて」 鐡登羅光陽

((思ったよりも)長生きをして辛いとばかり思っていた昔が今は懐かしく思うことが出来ます。明日があるか分からぬ鷹の御旗の許なればこそ)

 

 これにより、第四番隊隊長を拝していた天武璃音に副将の打診が上がるが、璃音はこれを辞退。蓮が六十の頃、正式に家督と軍の全権を相続するまで、副将の座は空席であったという。

 さらに五十を過ぎると、愛弟子であった津鬼家当主津鬼蒼牙が、正室櫻姫の後を追うようにして没した。この時、蓮は東国にて守護を務めていた本家海神龍彦の正室にして蒼牙の実姉である晶姫に宛てて、葉桜の束と共に文を贈っている。

 

「己(お)の道を ながらいていき 我らなれ 都桜の 散らぬうちにぞ」 天武蓮

(己の道を身勝手に生きた私の弟子であったから、己の道を身勝手に逝ってしまったのでしょう。都の桜が散り終えてしまう前に)

 

 津鬼家嫡子・津鬼青牙が津鬼家を継ぐ際は、東国に離れた海神本家に代わり、見届人を務めたという。

 そして来る紫鸞二十年、冬。蓮にとってもっとも辛い別れが待ち受けていた。流行り病に倒れてから徐々に体調を崩していた華姫が、春を待たずして没することとなった。床に伏せてから十五年。生き永らえていたのは、ひとえに最期の時まで夫を支え続けたいという気丈な意志によるものであった。

 参内定例の儀にて危篤の報せを受けた蓮は、すぐさま聖蘭邸へ馬を走らせた。危うい容態であったが、その到着を待っていたかのように、華姫は最期に意識を取り戻し、蓮自らがその最期を看取ったという。

 最期の時まで母を世話していた娘の沙姫の手によって、彼女が述べた辞世の句が残されている。

 

「影花に 木漏れ日さすは 鷹羽の この世にありて 我が身は何ぞ」 華姫

(日陰に咲いてしまった花である私にとって、鷹羽(=天武蓮のことを指す)は何よりの光でした。私はあなたにとっての何かになれたでしょうか)

 

 沙姫が残している手記に寄れば、優れた歌人であったはずの父が、この時ばかりは返歌することが出来ず、風前の灯火であった母の細い身体を抱きながら「逆風(けして順風ではなかった己の人生)の唯一にて最大の幸福にあった」と答えるのがやっとであったという。それを聞き届けた華姫は、夫の腕の中で静かに息を引き取った。享年五十八。安らかな、眠るような散り際であったという。

 この時より、蓮は春の訪れまで長らく喪に服したとされる。当時の様子について、沙姫は次のように書き残している。

 

「あのように塞ぎ込んでいる父の姿を見るのは初めてかもしれない。篠田の御当主(篠田悠のこと)にお聞きしたところ、無理もないと仰りつつ、目を離さぬようにと言われた。予てから津鬼家の先代様(津鬼家先代当主・津鬼蒼牙)と似ていると聞いているから、もしや、一気に弱ってしまわれるのではと不安だった。

 文の届かぬうちに遠方にいらっしゃるはずの姉様(零姫のこと。十二の時、本家本国を出奔し、そのまま外つ国に嫁いだ)が帰られたので驚いた。姉様曰く、「嫌な予感がしたから」とのことである。姉様に父様のことをお話すると、一言、「梅の花が綻ぶのを待て」と仰った。根拠は分からないけれど、昔から姉様の言うことに間違いがあったことはない。それまでは沙羅に留まってくださるそうで、とても心強い。身勝手かもしれないけれど、私はまだ父様と別れたくはない。母様、どうか父様を連れて逝かないでください」

 

 喪が明けてしばらくは普段通り、公務をこなしていたとされる。しかし、齢六十になった春。紫鸞帝に請われて、初春に産まれた御子の名付け親となって欲しいとの願いに参内したが、式典後の祝いの席にて病に倒れ、半身不随の身となった。これを切欠として、蓮は正式に飛鷹軍大将と天武家当主の座を辞する。跡目は速やかに嫡子の璃音へと受け継がれた。

 静養の地を両親と妹姫、そして正室が眠った聖蘭邸に定めると、余生をこの邸を整えることに費やした。聖蘭邸には様々な花木が集められ、四季のどの季節にあっても花の絶えない庭となった。

 

 そうして迎えた紫鸞四十六年、冬。長く交流のあった海神家正室晶姫が天命を全うした翌年のことである。すべてを見届けたかのように、天武蓮は静かな誰もいない深夜の聖蘭邸の庭園にて、ひっそりと息を引き取った。

 胸騒ぎで夜回りをしていた沙姫は、庭園に父の亡骸を見つけると、すぐには遺体を運ばず、姉姫や弟たちを呼んだ。聖蘭邸は花の絶えない草木の他、清水の青池を造ったにも関わらず、何故か周囲に枯山水を敷くという不可思議な造りとなっている。生前、蓮は邸を訪れた幾人にも理由を尋ねられたが、一度としてその問いには答えなかった。

 だが、沙姫の早文に集められた彼の親人たちは、一目見て誰もがその意を悟ったという。

 天上に十五夜の望月。薄く降り積もる雪。何故か清水池には時期外れに蓮の花が一輪、咲き誇っており、そのほとり、枯山水が描く海原の上に着物の袖と裾を広げて彼の人は息を引き取っていた――まるで、一羽の鳥が翼を広げて飛翔しているかのように。

 彼の人が生きた生そのままを表したかのような死に様に、沙姫は涙ながらに父に寄せて句を詠んだ。

 

「雪月花 清水海原 思ふ人 幽世に発ちて なほあまりある」 沙姫

(雪と月と花、清水、海原までも、すべてあなたが大事にして止まなかったもの。死の国へ発つ時まで、なおそれを愛したあなたのなんて欲張りなことよ)

 

 古来、沙羅の皇家には幼名として“雪”の名を付けることが通例であった。従って冷泉帝の幼名にも“雪”が付けられていたと推測される。また南を向いた奥の間からは月が良く見渡せた。晶姫の名の由来として、晶=あきら、あきらかな月を現したとされる一説がある。総じて聖蘭邸をそのまま表したこの句は、雪=冷泉帝永佳院、月=晶姫、花=華姫、清水である青池=津鬼家愛弟子、枯山水の海原は長きを過ごした青龍海神を準えたとされる。

 何故、雪の降る季節に蓮の花が開いていたのか。半身不随の身で、人の手を借りなければ動けなかったはずの彼の人が、どうやって一人で寝所から庭園に降りたのか。この二つは未だ以て謎である。

 後世の創作かとも疑われたが、その亡骸を見たとする人物が多数、手記にしていること。没後、この死に姿は、彼の人の亡骸を一羽の鷹と置き換えて掛け軸や絵として描かれ、多くの絵師が愛して止まない風景画のひとつになったことは事実である。

 

 その後、聖蘭邸は現代の皇家から重要文化財として指定され、今も尚、春には桜、藤、菜の花、夏には紫陽花と蓮、秋には百日紅と金木犀、冬には馬酔木と梅、そして蓮華草と胡蝶蘭を楽しめる花の名所として残されている。

 そして、その庭園の中央。彼の人が飛翔して逝ったと伝えられる場所に建てられた碑には、寝台に残されていた次の世を渡っていく子々孫々へ向けられた天武蓮の最期の言葉が刻まれている。

 

「我が志は今世の今に見たり。汝、我が遺志を継ぐ事無かれ。我が眼は焦れた人が見た先の世を見据えたり。汝、我が背を追う事無かれ。汝、逆風の中で汝が志を見つけられたし。さすれば汝、既に雛鳥に非ず」


(私の志は今、私が見ている世に成りました。あなたは私の遺志を探して継ぐことはありません。私の目はかつて焦がれた人(父である武鎧聖のことと推察される)が見ていた先の世を見ていました。あなたは私の背中ではなく、私の見ている先を見据えなさい。移り変わる時代の逆風の中で、あなたはあなただけの志を探しなさい。それを悟った時、あなたは既に雛鳥ではなくなっていることでしょう)

 


 


出典:鷹羽全章、他複数の書記


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